小説 LORD of VERMILION IV‐ O Brave New World ‐
write : 浅尾祥正
第4章
鎮め護るは、何処の焔
渋谷区代々木に立ち並ぶビル群を上から眺めると、突然ぽっかりと緑の大穴が空いている。そこは近隣の土地を守る「鎮守の杜」であり、その中央には
明らかに――一般の市民ではない。皆一様に法衣を纏い、手には各々錫杖や
彼らの視線は、皆一様に参道を抜けた拝殿の最奥、内拝殿の壇上に向いており――そこには、まっ白な法衣に紫色の
その少女――一条樹里亜こそが、この呪術集団『鎮護国禍』の頭首であった。十代後半にしか見えないこの少女がそのような立場にいることも驚きなのだが、何よりも、その透き通った碧眼と絹のようにすらりと落ちる金色の髪が、なんとも言い表し難い神秘性と共に、彼女の特異性を感じさせた。
『――共鳴現象の真の脅威が発現した今こそ、私たち鎮護国禍はその真価を発揮せねばなりません! 大和王権ありし千五百年の古より、私たちは悪鬼妖異をはじめ、あらゆる災禍からこの国を守り続けてきました。先代たちが磨き上げ、私たちが受け継いだ技は、今、この時のために、そしてこれからのために在るのです! その歴史は、決してこの程度の災厄に屈するものではありません! 現在、東京に住まう多くの人々の魂は彼岸の境をさまよっています。自衛隊、警察機構は機能せず、街は自治機能すらも失いました。時間は巻き戻せない……私たちはこの悲しい事実を受け入れなければなりません。しかし、私たちにはまだ命があり、力がある。私たちならば、これ以上被害を拡大させないよう、逃げ惑い、物陰で震える人々を救うことができます!
スピーカーを通して、樹里亜の演説が朗々と境内に響き渡る。その抑揚の高まりに合わせて地響きのような喝采が繰り返し起こり、衛士たちの士気が目に見えて高まっていく――。
「ひゃあ、すっごいねあの子……本当に高校生なの?」
「へへ、うちの生徒会長なんですよ」
拝殿の脇にある神楽殿、その控室のソファーに座る道明寺虎鉄が、備え付けられたモニターに映る演説の様子を見て目を丸くし、その横で原吹晶が自慢げに鼻を高くする。
「でも、まさか樹里亜先輩がここまですごい人だったなんて……勉強も運動もできて、その上キレイで生徒会長とか、そもそも十分すごいのに……」
「うはぁ……そこまでなんだ」
「しかもスーパーお嬢様」
「なんて羨ましい……」
虎鉄は、朴訥ながらも人好きさせる顔にくるくるとよく回る表情で驚嘆を浮かべ、対して晶は日に焼けた顔に健康美そのものの笑みを浮かべて返す。しかし、境内の張りつめた様子に比べてやけに明るい二人の会話は、どこか無理にそう振る舞っているようなぎこちなさを感じさせてならない。それも無理からぬことだろう。彼らはこの数か月の間に、東京をこのように変えた共鳴現象によって、それぞれ身近な人を奪われたのだから。
四か月前、虎鉄は母方の実家がある福岡に居た。受験に失敗し、浪人生として次の一年を過ごすことになったことを、父親と離縁した母親に報告しにいっていたのだ。のんきな父親と違い生真面目で、それこそ手を揉み合わせ一人息子の受験を心配していたであろう母親に、そんな報告をするのはとても気が重かったのをよく覚えている。そんな折に――東京を『大共鳴』が襲った。
ものすごく、嫌な予感がした。虎鉄はそもそも母親に似て心配症な質なのだが、何かそういったものを超えたざわつきが、足元から全身に這い上がってくるような感覚を覚えた。
東京に残してきた心配は多かった。父親の
当時は災害により東京のインフラや交通網が寸断されていたため、臨時で開放された厚木の軍事飛行場から、自衛隊の人員輸送車で東京に入れるよう整備されていた。肉親、知人を案ずる人々でごった返す中、運よく初日の輸送車に乗り込めた虎鉄は、限界まで補助席を足してすし詰め状態の車中から東京を見た。
報道通り、その風景は目を疑う景観へと一変していた。「フォグツリー」と呼ばれる巨大な植物の根のようなものが街中に蔓延り、道路を、ビルを、縦横無尽に貫いていた。なんでも、突如不思議な共鳴音が響くと共に赤い霧が街を覆い、それが晴れるとこのような状態になっていたという。さらに、霧の中にいた人々は皆一様に気を失い、一週間後、一斉に目覚めたというのだから、異常、異様というより他ない。当然多くの死者が出たし、本当に信じがたい光景だった。その所為か、虎鉄の目にはそれらの異常がリアルなものと映らず、それよりもただ、ざわざわと胸の内より湧き続ける不快な感覚だけが気になって仕方がなかった。
地元に着くと、まずは実家に向かった。道場の長屋門をフォグツリーが思い切り貫いていたものの、家屋は概ね原形を留めていた。期待とざわつきが入り交じって胸の中を駆け巡った。年甲斐もなく泣きそうになってしまうのを堪えながら、母屋、道場、庭、隅々まで探したが、そこには、誰もいなかった。
期待は小さく頭をすぼめ、ざわつきだけが激しく波立った。悲嘆がのそりと鎌首をもたげて思わず座り込みそうになったが、そうしたらもう何もできなくなると思い、とにかく動いた。ネットは自衛隊の臨時中継基地局の周囲でしか受信できず、テレビも映らない。家にあったラジオはとうの昔に壊れてしまっていた。なので台所を漁り、長らく引き出しの奥にしまわれて薄茶けるに任せていた町内会の配布資料を引っ張り出した。そしてそこに緊急避難場所と書かれていた近所の公民館に向かい――そこで、折れた足を即席の牽引台に吊るし、のんきに配給のおにぎりをぱくついている羅閂と 甲斐甲斐しくその世話をする夜刀に再会した。
ほっとした。
郁郎はそこに居なかったが、すぐに隣地区の小学校に避難していることが分かった。本当にほっとして――したのだが、ざわつきは消えず、むしろ前よりも増した。
そこに、千尋の姿が無かったからだ。
誰かは無事でないかもしれない――そう、覚悟はしていた。しかし、想像以上に焦燥に駆られる自分がいた。慌てふためき、周囲の人に千尋の容姿を伝えて姿を見なかったかと聞き回り、必死に避難所の名簿や行方不明者リストを見直し始めたところで、「落ち着け」と肩を掴む羅閂から、千尋は救急病院に搬送されたことを伝えられた。
命に別状はなかったものの、千尋は他の人々と違い意識が戻らなかったため、優先して病院に運ばれたらしい。しかも脳波の状態を見るに、徐々にではあるが、問題なく覚醒に向かっているとのことだった。そこでやっと、虎鉄は腰が砕けたように座り込んだ。
長く胸の内で荒れ狂っていたざわつきがようやく静まり――そうして、久しく忘れていたことを思い出した。かつて自分には、ひどく日常が壊れることを恐れていた時期があり、それを千尋に救ってもらったことを。
そうなのだ。家を出ていった母親と入れ替わるように羅閂に連れてこられ、以来十年間一緒に暮らしてきた千尋――すっかり慣れきっていたが、彼の存在こそが、虎鉄にとって確かな日常を繋ぎとめる支柱だったのだ。彼と出会った頃の、あのときから――。
その後ひと月、千尋が目覚めるまではやはり気が気でなかったが、その頃には基本的なインフラも回復し、人々の生活と共に虎鉄も落ち着きを取り戻していた。とはいえ未だ『大共鳴』は〝未知の超常現象〟で、防疫上の観点からも、その影響と要因が判明するまでは東京から出ることを規制する「都内規制」が施行されたままだった。大共鳴後に東京入りした虎鉄は、在京一週間未満であれば都外へ戻ることもできたし、羅閂もそうすることを勧めたのだが、それでも、
「やっぱりみんなと居たいし、オレ、千尋さんの大学目指してるからさ」
と、東京に残ることを選んだ。
そうすれば、再び今まで通りの日常を取り戻せると思ったのだ。
しかし――そうはならなかった。彼の日常に入ったヒビは知れずに亀裂を広げ、結局、粉々に砕け散ってしまった。
いったい、運命は彼に何を望んだというのか――再び響いた共鳴音は、羅閂を怪物へと変え、死に至らしめた。夜刀は使い魔に憑かれて別の何者かと入れ替わり、郁郎もまた、怪物になりかけ意識を失ってしまった。千尋と虎鉄は『英血の器』として目覚め、今も日々、〝自分でないもの〟に変わっていく感覚に苛まれ続けている。
同じ思いに駆られているかもしれない「器」たちの前では極力いつもと変わらず振る舞うよう努めていたが、その実、とても不安で仕方なかった。虎鉄は決して強い人間ではない。むしろ臆病で、剣術を身につけたのものそれ故の結果に過ぎない。父譲りか剣のセンスはあったようで、師範格の段位まで取得できた。それでも自信や強気はあまり身に付かず、いらぬところで心配性なわりに生来ののんびりした気質も相まって、周囲の評価は常に「なんだか頼りない」だったし、彼自身もそれを仕方ないと受け入れていた。そんな虎鉄が、このような状況でなんとか平静を保っていられたのは、やはり千尋が傍にいてくれたからだった。
なのにその千尋までもが、舞浜で再発した共鳴事件で行方不明となってしまった――。
正直、心底こたえていた。
今、目の前でモニターを見上げている原吹晶もまた、同じ舞浜で水上晴を亡くしていた。彼女にとって彼がどのような存在だったかは詳しく聞いていない。一緒に上京してきた幼馴染ということだったから、自分と千尋のような近しい間柄だったのかもしれない。そう思って心中を想像すると胸が締め付けられた。それでなくとも彼女はまだ高校二年生で、「英血の器」としても目覚めたばかりだった。きっと不安に違いない。悲しくて、怖くて――年上の自分が支えてやらねばならないと思う。しかし、水上晴が怪物と化し、巨大な竜の怪物と相対したあの時、虎鉄は足がすくみ、何もできなかった。その場でただ茫然と膝を突き、一緒にいた真鶴椿が呼んだ鎮護国禍の衛士たちに抱えられるがままに保護されて――そんな自分が、彼女にかけられる言葉など見つかりようがなかった。千尋と一緒なら、この力で自分にも何かできるのかもしれない――そんな風に少しでも思っていた自分がおこがましくて――。
『――現在安定している要石はここ代々木と四谷の二つのみ……しかし四谷には物憑きの集団が押し寄せており、その維持も危うい状況となっています。そこでまずは――』
モニターから流れる樹里亜の声が部屋に響く。
「やぁ、でも本当に――」
本当に、何だろうか。虎鉄は無理やり繋ごうとした言葉につまり、口をつぐんだ。晶もまた言葉が出てこないようで、黙ってモニターに目を向けている。虎鉄も同じように再びモニターに目をやりはしたが、その目は何処も見ていないようで――。
そこに、
「道明寺さん、このようなところでお待たせしてしまい申し訳ありません。原吹もすまないな」
若い男の声がした。
晶が振り返り、
「あ、先輩」
と言った。
見ると、晶と同じ日々河学園高校の制服を着た青年が、お茶と菓子の乗った盆を手に控室に入って来ていた。青年は十文字駿河といい、樹里亜の従弟だけあって、金髪に碧眼、女性と見紛うような綺麗な顔立ちが、モニターの中の彼女とよく似ていた。
「駿河君、あの……」
虎鉄が返事も余所に思わずそう口にすると、駿河は即座に言わんとすることを悟ったように頷き、
「すみません……神名千尋さんは現在もまだ捜索中です」
と慇懃に頭を下げた。
「……そう」
その報告に、やはり虎鉄は顔を伏せ、暗く沈んでしまう。すると晶が空気を換えようと気を利かせたのか、
「――あ、そういえば、椿さんは?」
と、何気ない調子で話題を変えた。
(情けない……この子も、辛いはずなのに……)
虎鉄はすぐに顔を上げ、気を取り直して話に乗る。
「あれ、確かに。どこいったんだろ? さっきまでいたのになぁ……やっぱりどっか調子悪いのかな……」
「……椿さん、どこか悪いんですか?」
「ああ、ごめん。よくわかってないんだけど、舞浜で共鳴音浴びたとき、なんだかすごく辛そうにしてたからさ」
「椿なら心配ありませんよ」
駿河が二人の前のテーブルにお茶と菓子を置きながら言い、晶がひどく恐縮そうに頭を下げる。
「昨日も元気にしていたみたいですし、きっと僕らに見つかりたくなくて、どこかに隠れてるんです」
「隠れてるって……」
「ここはあいつの実家みたいなものですから」
「え⁉ ここが家なの? それじゃ椿ちゃんもお嬢様……」
「自宅は別にありますよ。まぁ、本人がどう思ってるかは置いといて、家柄はそうですね。あいつはこの社を祭る宮司の家系なんです」
「うへぇ……あの一条さんって子といい、『使い魔』呼べる人たちってすごい家の人ばっかなんだね……」
大げさに口を開けて驚く虎鉄。その斜め横で、「いただきます」とお茶を手に取った晶が、湯飲み越しに駿河を見ながら、
「やっぱり、駿河先輩もその――〝使い魔〟っての呼べちゃうんですか……?」
と訊ねた。その問いに、駿河は一呼吸置いてから、
「――もちろん、僕も使役できる。我々鎮護国禍では『
「………?」
怪訝な表情を浮かべる晶をまっすぐ見ながら、駿河は腕を組んで壁に寄りかかる
「〝羅刹もって禍を拭い、魔を破る〟――お前の家、『
淡々と語られる事実に、虎鉄はよくわからなそうに眉をひそめたが、その後ろで、駿河の話が何かの琴線に触れたのか、晶の目が見開かれ、
「それじゃ、わたしたちがスカウトされたのって……それを、先輩たちは初めから……」
湯飲みを持つ指に目に見えるほどの力が入っていく。
すると、
「うっへぇぇ! それじゃあオレたちもなんかすごい家系だったりするのかな⁉ 隠された遺産とかもあっちゃったりしてさ!」
突然虎鉄が立ち上がり、やけにおどけた調子で口を挟んだ。その勢いに思わず晶の気が逸れ、駿河も口をつぐんで虎鉄に顔を向ける。
「どうでしょうね? 呪血に『道明寺』という名は聞いたことありませんが」
「ええ~、そうなんだぁ……」
そう大げさに肩を落とす虎鉄を見る駿河の目は、先程までの氷のような冷たさが影を潜め、幾分柔らかく見えた。
そして駿河はちらりと時計を見ると、壁から身を起こした。
「そろそろ『勅宣の儀』も終わります。本殿に向かいましょう」
「本殿?」
虎鉄が立ったまま首を捻る。
「この共鳴現象の裏には明らかに〝敵〟がいる――そしてそいつらは、間違いなくあなた方『英血の器』を狙っています。我々はこの国を守るにあたり、あなた方を守る必要があると判断しました。それにあたり〝神前〟にてお話しがあります。ついて来て下さい」
そう言うと、駿河はさっと背を向けて部屋を出て行こうとする。慌てて虎鉄が追いかけるが、ついてくる足音はない――振り向くと、晶はソファーに座ったままテーブルの上をじっと見つめ続けていた。
ふたりの間に立つ虎鉄は、首を振って二人を見比べると、
「えと……駿河君、ちょっと待ってて。すぐに追いかけるから」
とその背に声をかけた。すると駿河は半身だけ振り返り、
「はい、廊下で待っています」
と、仄かに労わるような笑みを浮かべ、静かに扉を閉めた。
* * * *
原吹晶の前を、十文字駿河と道明寺虎鉄が歩いていく。御神体が置かれているという本殿内陣、そこに続く長い外陣の畳の上を、駿河は慣れた様子でしずしずと音を立てずに歩き、その後ろを虎鉄が、妙に腰の引けたすり足でついていく。そうしていくつもの御簾を潜り、内陣との境であるひと際豪奢な御簾を開くと、そこに設えられた祭壇の上に男が一人、片膝を立て、いかにも不機嫌そうな仏頂面で座っていた。
晶は良く見知ったその男の顔を見て、少し安心したような、困惑したような、何ともいえない心持ちになった。
それも仕方のないことだろう。そもそもこんな場所に人が座しているというのがおかしい。では、人ではないのかというと――確かに、そのすっと通った鼻筋に切れ長の目、人離れした端正な顔立ちときめ細やかな白い肌から漏れ漂う雰囲気は、この神聖な空間に相応しい神々しさを備えているように思える。しかしその恰好は、およそ場に似つかわしいとは言えない、そこらの量販店で当たり前に売っているような、ラフなジャージ姿であった。
三輪辰彦――この男はつい先日まで、晶にとっては所属している日々河学園高校ネオトライアスロン部の委託コーチでしかなかった。しかし舞浜の事件で目にしたその〝正体〟は、まったく予想だにしないものだった。
駿河は内陣の境で二礼してから中に入ると、辰彦の前で両膝、もろ手をついて頭を下げた。
「かしこみかしこみ、非礼の程、お詫び奏上いたします。このような場所にて――」
辰彦は駿河の言葉を、鼻をならして遮ると、
「猿が過ぎるぞ、十文字。正体がわかったとたんにそれか。余所の社に置かれるのもそうだが、気分がよいものではないな」
「申し訳ございません――〝オオモノヌシノカミ〟」
そうなのだ。三輪辰彦という人間は神が人の世に忍び入るために取った仮の姿であり、その義体に宿った神霊は、日の本八百万神の一柱、オオモノヌシだったのである。
オオモノヌシの冷えきった視線に、駿河は言葉なくさらに深々と頭を下げる。その様は寸分の隙も無く見事なまでに慇懃ではあるのだが、オオモノヌシにはどうにもそれが気に食わないようで、もう一度鼻を鳴らすと目線を外し、ちらりと虎鉄を一瞥してから晶に顔を向けた。そして、
「原吹――」
言いかけるも、そのまま目の下に皺を作っただけで黙ってしまった。
きっと、舞浜で水上晴を守り切れなかったことに対する言葉が見つからないのだろう――そう思った晶は、同時にその表情によって、ここ数日心に絡みついていた困惑の糸が解けたのだった。
数日前、姿を消した晴の暴走を予見した晶は、辰彦と共にその行方を追い、舞浜で開催されていた『
快活な笑顔で草原を走るオレンジ色の髪の青年と、やれやれとため息をつきつつ蛇体と変化して青年を追い、掬い乗せる蛇神の姿――襲い来る怪物の群れと繰り返される戦い――青年と、自分とよく似た少女の出会い――一瞬で長い時を遡るようにそれらを見た晶は、同じ記憶を見たに違いない晴と、辰彦の中に強くある想いを悟った。そして自分の知る三輪辰彦とは、蛇神が、その想いを果たす為にとった仮初の姿であることを知ったのだった。
しかし――今、こうして目の前で顔をしかめるオオモノヌシの表情は、やはり晶の良く知る彼だった。今までと変わりない――一昨年前、中三の夏に故郷の村で初めて彼に会った。彼のスカウトを承諾し、晴と二人で期待と不安に胸を膨らませながら上京した。少ない部員で「ネオトラ部」を立ち上げ、彼の指導の元、皆で必死に厳しい練習をこなし、初の大会で見事全国優勝を成し遂げた。皮肉を言う時以外めったに笑うことの無い彼が、そのときだけ僅かに本当の笑みを浮かべたことを覚えている。いつも不機嫌そうで、それでいて妙に真面目で、皆が思うような結果を出せないと、ああしていつも鼻と目の下に皺を寄せ、真剣に考えを巡らせていた――。
晶は少し考えてから、
「大丈夫……じゃないけどさ、心配しないでよ。今いろいろ頭ん中整理してるとこ。とりあえず、こないだはありがとね、三輪ちゃん」
と、いつものように返した。それを受けたオオモノヌシは一瞬驚いたようにしたが、すぐに穏やかな表情となり、
「……うむ」
とだけ答えた。そして目を閉じ、軽く鼻から息を吐くと、
「いいかげん表を上げい、十文字。今さらむず痒いわ――して、今外はどうなっておる」
そこで初めて駿河は顔を上げ、ゆっくりと口を開いた。
「現在、東京の殆どは物憑きに占拠されています。衛士たちが呪壁を設けなんとか共鳴の拡大を防いでおりますが、無事なのは『要石』の加護を増したこの代々木、朱御山神社と四谷の上恵大学周辺のみ――しかし四谷には多くの物憑きが押し寄せ、このまま何もしなければ占拠されるのも時間の問題かと」
「……四谷の……上恵大学……」
傍に立つ虎鉄が小さく反応するのが横目に見えた。オオモノヌシも気づいたようだが、構わず駿河に訊ねる。
「貴様らはどうするつもりだ?」
「我ら鎮護国禍は、ここに集結した衛士たちを引き連れ、四谷に集まった物憑きの群を一掃いたします。そして四谷の『要石』の安全を確保、無事な一般人を保護したのち、広いグラウンドと病院施設が併設する上恵大学を拠点に地下の龍道を伝って北上――日比谷、神田方面に分かれて順に七つ全ての『要石』を制圧後、これ以上共鳴が起こせぬよう全ての石を破壊します。その上で一旦東京より撤退し、再度準備を整え東京の奪還を――」
「――いいえ、それはなりません」
御簾越しに凛とした声が響いた。
「『要石』はその名の通り大和守護の要、私たちが東京を見捨てるわけにはいきません――オオモノヌシノカミ、入陣の無礼をお許しください」
オオモノヌシは、御簾の向こうに立つ声の主に向け目を細めると、
「お前がここに呼んだのであろうが、とっとと入れ――一条」
そう言った。
「……呼んだ?」
駿河が怪訝な表情を浮かべると同時に、
「失礼いたします」
御簾が開き、長い金色の髪をなびかせて颯爽と内陣に入って来たのは、儀式を終え、駿河と同じく学生服に着替えた一条樹里亜であった。
樹里亜は晶と虎鉄の姿を目にしてほんの少し眉を動かしたが、オオモノヌシの前に立ち深々と一礼すると、晶の方に向き小さく微笑んだ。
「原吹さん、先月の部総会以来ね。いろいろと驚いたでしょう?」
「………」
晶は、一瞬言葉に詰まってしまった。
部総会とは、日々河学園にて生徒会主導のもと毎月行われる、各部の長による定例会合である。ネオトラ部の主将である晶は、確かにそこで樹里亜や駿河と定期的に顔を合わせていた。それ以外でも、部活連会頭の駿河とは部の備品申請やグラウンド使用シフトの作成などでよく話すことはあったが、樹里亜とは部総会で事務的な言葉を交わすのみであり、このように面と向かって対することはなかった。それでなくとも、樹里亜は学園の生徒たちから多くの尊敬と憧れを集める雲の上の存在であり、少なからずそういった生徒たちの一人でもあった晶は、思わず体を固くしてしまい、
「……どうも」
とそっけない挨拶を返すことしかできなかった。しかし樹里亜はそれを気にする様子もなく澄ました笑みを返すと、今度は虎鉄に頭を下げた。
「道明寺さんも、不自由はないですか?」
「え、あ……いや、そんな。えと……先日は助けていただいてありがとうございます」
と、虎鉄もまた、どぎまぎとした様子で頭を下げる。
すると駿河が立ち上がり
「――樹里亜、どういうことだ。戦略関連はこちらの担当だぞ。それにさっきの作戦は大老会でも承認されているはず――」
「それは〝一〟の頭首権限で先程撤回させました」
「なっ……」
晶や虎鉄に見せた柔らかな表情とは一変し、にべもなくそう言い放つ樹里亜に駿河は唖然と口を開き、
「お前、まさかわざと先に僕をここに寄越して――」
と、強く拳を握りこむ。しかし樹里亜は構わず続ける。
「これ程の憑依災害は長き歴史においても平安末期以来――私たちの力だけで対応できるかは怪しいわ。万難を排すならば『要石』の御力を持って抗するべきよ」
「だから、その〝要石〟が利用されてこういうことになったと言っている!」
「取り返し、守り通せばいいだけのことです。それすらもできないようでは、どの道東京を奪還することなど不可能でしょう?」
駿河が睨みつけ、
「……いったい、何を考えてるんだ樹里亜」
樹里亜は至極冷静にその視線を受け返す。
「何も、私はただ人々の安寧を願うのみです」
「それだけなはずは――」
その時、
「――貴様ら、そこらへんにしておけ」
オオモノヌシが静かに言った。その言葉には神威が込められていたのか、ふたりは口を押さえられたように押し黙った。
「ワシは忙しいのだ。一条、貴様がどうしてもと言うからここに居てやっている。要件を言え」
樹里亜は居住まいを正すとオオモノヌシに向き直り、
「何はともあれ駿河の申しました通り、私たちはこれより四谷の物憑きを排除する作戦を決行いたします。そこでオオモノヌシノカミ、引いては日の本を護りし八百万の御神々におかれましては、是非にそのお力をお借しいただきたく」
と頭を下げた。
オオモノヌシは樹里亜をじっと見つめ、
「わざわざそれを言うために、このワシを呼びつけたと?」
「はい」
そして、
「断る――人の世のことは人で決せよ」
その言葉に、一同がにわかに体を揺らした――頭を下げる、樹里亜を除いて。
「三輪ちゃん……」
「すまぬな、原吹。ワシはもう誰にも使われてやるつもりはない。それに、やることがあるのだ」
「……やることって?」
「〝約束〟があってな、しでかした不始末の責を取りに行かねばならぬ」
「それって、もしかして晴のこと……」
晶は、そう語るオオモノヌシの目に強い苦渋と重い覚悟を見た気がした。それはずっと前から、それこそ晴と晶、三人が出会う前から心に決めていたに違いない、彼という存在を儚く消し去ってしまうような、悲しい覚悟――そう感じた。だから思わず手を伸ばし掛け、
「では――」
穏やかだが、強く発せられた樹里亜の声にその手を止めた。
「《器》を、お譲りいただけますでしょうか」
オオモノヌシの目が細まった。
「〝それ〟は、あなた様がお持ちになっていても詮無きもののはず」
その言葉に強く反応した駿河が樹里亜の肩を掴む。
「おい、《器》だと……? お前さっきから何なんだ! まさか、舞浜に現れた巨人の残したものか?」
しかし樹里亜は返事なく、軽く肩を動かしてそれを払うと、
「いかがでしょう?」
とさらに窺いを立てた。
オオモノヌシは、その真意を探るように樹里亜をじっと見つめていたが、目を閉じて息を吐くと、
「ふん、最初からそれが目当てであろうに――いいだろう、ただし条件が二つある」
「なんなりと」
「まず、今より行う貴様らの作戦とやらに、原吹とそこの子猿を同行させよ」
今まで顔を伏せて話を聞いていた虎鉄が、思わず顔を上げた。しかしいきり立つ駿河はすぐさま跪き、
「畏れながら、敵の狙いは彼ら『英血の器』である可能性が高い――戦いの訓練を積んでいない彼らを、そのような危険な場所に連れて行くわけにはまいりません」
「愚か者が、ワシの言を猿の尺度などで測るな。そやつらに宿る力は、そこらの猿どもには比ぶることすら能わぬ霊性を秘めておる。この程度の危機でどうなるものでもないわ。ワシは〝意味〟があって言うておる」
「しかし……」
食い下がろうとする駿河の背に、
「行かせてよ、駿河君」
虎鉄が声をかけた。
「実はさ、そこの付属病院に友だちが入院してるんだ。もしまだ無事なら助け出したい。千尋さんが帰って来たとき、みんなで再会したいからさ」
笑顔を浮かべてはいるが、虎鉄の表情は固い。きっと恐怖を押し殺しているのだろう。
「簡単に言わないでください。あなたの命だけの話じゃない」
「うん。分かってる。足引っ張っちゃったらごめんだけど……今は、できることをしたいんだ」
(できること……)
晶はそんな虎鉄に、自分がかつてそうしたくて、できなかった姿を見た。
「わたしも――わたしにできることならなんでもやります」
彼女は、水上晴が何かに思い悩んでいたことを知っていた。幼いころから一緒に居たのだから、それくらいははっきりわかっていた。しかし、何も自分に相談してくれないことへの憤りや、主将として、勝手に部を離れて行こうとする彼だけを特別扱いするわけにはいかないという思いから、一歩踏み込むことが出来ずにいた。そしてその結果、こうして彼を失うことになってしまった。
今ならば、晴の苦しみがわかる。小学生の頃からネオトラに夢中になり、夢を懸けて東京に出てきた。必死に練習して、本当に全てを懸けて、そして栄光を掴んだ。しかしその栄光の正体は、自分の体に流れる「血の力」とかいうよくわからないもののお陰だと分かってしまったのだ。この先どれだけ競技を続けても、もともと人を超えた体では公平な勝負はできない。自分の本気を試すことなどできやしない。そしていち早く「器」の力に目覚めた彼は、晶にもその力があることを悟り、同じ思いをさせまいと黙って部を去ったのだ。
どうしようもなかったのかもしれない。でも――それでも、つまらないことなど気にせずに一歩踏み出し、そのときできることを精一杯していれば、晴にしっかり想いを伝えていれば、結果は違うものになっていたかもしれない――もう後悔はしたくない。やれることは全てやってから、その結果を受け止めたい――。
「わたしは、この力がなんのためにあるのか、それを知りたいんです」
「原吹……」
思いの籠った晶の目に駿河は黙し、二人の言葉を背に、樹里亜はもう一度オオモノヌシに頭を下げた。
「――
その姿勢のまま訊ねる樹里亜から、オオモノヌシは「ふん」と鼻を鳴らし顔を背ける。
「承知致しました。彼らは全力で我々が守ります。ではいま一つの条件とは?」
するとオオモノヌシは懐に手をやり、何かを取り出した。
「これを渡す相手は、ワシが決める」
そして祭壇をおりると、
「……え?」
その意味を測りかねている晶の前に立った。
「原吹、お前に託す。お前が信じるにたると思う者にこれを渡せ」
手渡されたそれは、初めて目にするものだった。紅く輝く輪のような血晶――しかしそれが何か、晶は自然と理解し両手で握り締めた。
しかし、
「オオモノヌシノカミ。畏れながら、それはこの日の本の命運を左右する鍵となるものなれば――」
樹里亜が平静を保ちつつも食い下がる。しかしオオモノヌシは、
「であればこそよ。《器》は、その者が、どのような想いを抱きこの姿となったのか、それが肝要なのだ。その想いが、手にすべき者を決める」
と、一瞥と共に樹里亜の言葉を切り捨てた。そして再び晶をじっと見つめると、
「〝こやつ〟を頼んだぞ」
そう言って陽炎のように薄く揺れ、宙に溶け消えた。
残された四人に沈黙が落ちる。
しばらくして、駿河が立ち上がった。
「作戦まで時間が無い。樹里亜、『要石』をどうするかは四谷を取り戻してからもう一度決めさせてもらう。道明寺さん、原吹、落ち着いたら社務所に来てください。作戦を伝えます」
そして足早に本殿から出て行った。
それを見送ることもなく、晶がぼうっと手の中の血晶を見つめていると、
「原吹さん」
樹里亜がそっと耳元に囁きかけてきた。
「――迷うようであれば、それを私に預けていただけませんか?」
びくりと顔を上げて合った彼女の目は、穏やかな声音と裏腹に真剣そのもので――。
晶はもう一度血晶を見つめると、
「――少し、考えさせて下さい」
と答えた。
すると樹里亜は目を閉じて一歩下がり、
「わかりました。賢明な判断を期待します」
そう言うと踵を返し、静かに御簾を潜って内陣を後にした。
* * * *
何台のもの「破魔菱」の紋が入った大型遊撃車が、新宿通りを四谷方面へと走り抜けていく。
虎鉄はその内の一台、十数人が乗り込むうち、あえて広く空けてある後部シートの一角に座り、窓に流れる街の風景を眺めていた。新宿御苑脇を越え、そろそろ四谷三丁目に入る。やはり人影は見えないが、今のところそれ以外に変わった様子はない。四谷には怪物たちの群が押し寄せていると言うが、果たしてどれ程の数がいるのだろうか――。
今、虎鉄は鎮護国禍が行う怪物たちの掃討作戦に参加する為、制圧目標である上恵大学へと向かっていた。
(こんなことじゃなくて、大学生として来たかったんだけどなぁ……)
自分からこの作戦に参加したいと言ってしまった手前泣き言は言えないのだが、こう何も現れないと、ホラー映画のクリーチャー登場前のようで逆に緊張してきてしまう。
「不安ですか? 今からでも戻れますよ?」
すぐ横から話しかけられた。隣の席に座っている駿河だ。
「あはは、出来るならそうしたいけど、やっぱりね……」
虎鉄は苦笑気味に答える。その様子を見た駿河は、ひとつ息を吐くと改まって訊ねた。
「正直、道明寺さんは荒事に向いているように見えません。なぜそこまで?」
「ひどいなぁ、これでも剣術の有段者なんだよ?」
おどけたように返してみたが、駿河の目線はまっすぐ虎鉄の目から動かず、そのようなことは聞いていない、といった威圧感をありありと垂れ流している。
虎鉄は気圧されつつも仕方ない、といった風にシートに深くもたれると、
「郁さん……」
「……?」
「……ああ、ごめん。その僕が助けたいって友だちなんだけど、その人、うちの道場の門下生でさ、とはいえ一個上の兄貴分みたいな人なの。ひょうひょうとして捉えどころない人なんだけど――あの千尋さんと仲良くやれたのってオレとその人ぐらいなんだよね」
「舞浜で一緒にいたという、〝神名千尋〟さん、ですか」
「うん。もう一人内弟子の風間さんって人もいるんだけど、その人は友だちというよりは、みんなの優しいお兄さん、って感じでさ」
「なんだか、周りは年上の方ばかりですね」
「あはは、本当だ。気にしてなかったけど、やっぱオレが頼りないからかなぁ」
虎鉄が頭を掻きながら笑う。
「道明寺さんは、神名さんのことをとても大切に思っているんですね」
その言葉に手が止まり、そっと膝の上に落ちた。
「うん……でも、初めは苦手だったんだ。というか、嫌いだった」
「………」
駿河は黙って続きを促す。
「今思い出しても、オレ、子供の時すっごく幸せだったんだよね。父さんと母さんと、三人でいっつも笑いの絶えない理想的な家庭ってやつでさ、そんな毎日がずっと続くって思ってたんだ。けど――」
虎鉄が膝に置いた手を握り開きしながら、手のひらを見る。
「小四のときかな。突然、母さんが家を出ていくってことになって。理由はいまだにわからないんだけど、とにかくいきなりそういうことになってさ。もうホントわけが分からなくて――そんなときに、父さんが千尋さんを連れて来たんだ」
虎鉄の手が止まる。
「ひどいと思わない? ただでさえわけわかんないのに、そこで他人の子だよ? オレ悲しくって、腹立たしくって、学校にも行かないで何日も部屋に閉じこもってた。父さんは初めは心配そうにしてたけど、そのうち怒って『勝手にしろ!』って放っとかれちゃってさ。それでますます、ああ、もうオレの幸せは終わっちゃったんだ、父さんはオレのことも母さんのこともいらなくなって、あいつを選んだんだ――って、ずっと泣いてたなぁ」
虎鉄の視線はずっと手のひらにあるが、その目は懐かしむように、悔やむように、遠い昔を見ていた。駿河はその横顔をじっと見ながら話に耳を傾けた。
「でも子供だったからそんなの何日も続かなくてさ、お腹も空くし、トイレも行きたいし。それでちょこちょこ部屋から出入りするんだけど、そのとき必ず居間を通らなきゃならなくて、毎度そこでじっと座って本を読んでる千尋さんに会うの。なんでだよって、すっごく嫌でさ、わざとそこにいて嫌がらせしてるのかなって。だからその度に、オレも随分ひどい態度とってたと思う。でもね――」
虎鉄はぐっと手を握り込んで拳を作った。
「あれは他にいる場所がなかったんだよ。うち、敷地は広いんだけど母屋はそうでもなくてさ、そのとき空いてる部屋は母さんの部屋しかなかったんだ。あとで聞いたんだけど、やっぱり父さんはその部屋使うように千尋さんに言ってたみたい。でもオレがそんな状態なのに、外から来た千尋さんが母さんの部屋使うなんて火に油でしょ? 千尋さん、オレと一個しか歳変わんないのに、そういうことちゃんとわかってたんだよね……。でもオレは全然子供で……子供だったんだけど、千尋さんに言っちゃったんだ――『なんでここにいるんだ! 出ていけ!』って」
「彼はなんて……?」
駿河が訊ねると、
「『大丈夫だよ、僕はどこにもいないから』って」
虎鉄は、寂しそうな笑みを浮かべてそう言った。
「変わってるよね。一方的に言われて、怒るでもなく、ただ静かにそう言ったんだ。十歳くらいの子供がだよ? オレ、なんかすごく恥ずかしくなっちゃって、それと一緒に〝この人すごい〟って思っちゃったんだ。子供なのに大人で、すごく強い人だなって。オレは母さんだけだけど、千尋さんは両親二人ともいなくなっちゃってて、きっとオレなんかよりずっと辛いはずなのに――だけどさ、〝自分はどこにもいない〟だなんて寂しいじゃない? だから、オレはこの人の家族になろうって思ったんだ。みんなに頼りないって言われるオレだけど、なんかそれならできる気がしてさ。そう思ったら、急にいろいろ大丈夫に思えてきて、いっぱい話しかけてたら、そのうちだんだん話してくれるようになってさ、もしかしたらオレのこと、頼りにしてくれてるのかもな、って――」
その笑みは、話すうちにどんどん明るいものへと変わっていった。
それを見た駿河は、
「……道明寺さんは、不思議な方ですね」
「あ、ごめん。話下手だよね? 伝わらなかったかな……」
「いいえ、十分伝わりましたよ。聞くだに、神名千尋と言う人は、そうそう他人に心を開かない人のように思えます」
「はは、不愛想だし、確かによく誤解されちゃうね……」
「そういう人と自然に打ち解けられるというのは、羨ましいです」
「オレを? 駿河君が? オレは駿河君の方が羨ましいけどなぁ。かっこいいし、なんでもできそうだし」
「そんなことないですよ」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
そこで会話が途切れ、タイヤが地面を擦る音だけが車中に響く。
少しして、今度は虎鉄が口を開いた。
「――駿河君はさ、一条さんと従弟なんだっけ。歳も近いの?」
「はい、同い年です」
「なんか……二人、大変そうだよね」
「そう、見えますか?」
駿河は困ったような笑みを浮かべたあと、まっすぐ前を向き、フロントガラスから外を見た。
「――昔は結構仲良かったんですよ。樹里亜と一つ下の椿、それと――黒髪はご存知ですよね?」
「ああ、うん。あの女刑事さん」
「そうです。その四人でよく遊んでいました。マリエさんがリーダーで、椿は……今とかわらずあんな感じでしたね。けど樹里亜は、いつも遅れてみんなの後ろを必死に追いかけてるようなやつで――」
「へぇ~、あのしっかりした子が!」
「変わったのは三年前――祖母が亡くなってからです。元々努力家なやつでしたが、それから人が変わったみたいに修行に打ち込むようになって、そのあとすぐ、あと五年でも早いと言われていた『一十が一』の継承を強引に先代に認めさせました。僕は一年遅れて、先代の引退に伴い『十』を継いだんですが、それからは何かにつけて対立続きで……」
「そっかぁ……家柄がいいってのも、いろいろ大変なんだねぇ」
虎鉄が腕を組んでうんうんと頷きながら、
「それで駿河君はさ、一条さんとまた仲良くしたいの?」
そう訊ねると、駿河はほんの少し体を固くしたように見えた。
「はは、立場的にもそれどころじゃないですよ。そういう意味じゃ、むしろ椿の方をなんとかしてやりたいです。あいつここ数年、突然樹里亜を避けるようになってしまって――」
「いやいや~、そいつはにゃかにゃかに難しい問題っすなぁ~~」
不意に背後から、高い声が会話に加わった。
二人が振り向くと、いつの間にか、髪に赤い蝶の飾りを付けた少女が、シートの背もたれに両腕を掛けて二人の席を覗き込んでいた。
「やりますなぁ~、コテっつん! この冷血風堅物アニマルなルガっちから桃色な思い出話を引き出すたぁ、さっすがこのあたし様が見込んだお人でござんす」
「椿⁉」
「椿ちゃん⁉」
「いよーっす」
真鶴椿がくりくりとした愛らしい目に、愛嬌たっぷりの笑みを浮かべ手を上げる。
「お前いつから……!」
駿河が半分腰を浮かせて唖然とする。
「ず~っといたにゃんよ♪」
「ええ……全然気づかなかった……」
「ふっふっふ、そうであろうよコテツくん」
「いたならなぜ言わない!」
「いや~、なんか二人がいい感じじゃったからさぁ~。ホントはお務めめんどいし、できるだけ隠れてたかったんだけどねん。でもコテっつんがこのバスに乗り込むところ見えちゃったもんで、もし作戦に参加すんなら、椿ちゃんにも巻き込んじまった責任ってのがあっかな~とか思いやして」
「だったら初めからちゃんと参加しろ!」
「や~ん、駿河先生こわ~い」
椿はくねくねとしなを作り、その様子に駿河が額に手を当てる。
「ところでさ、あの女子高生ちゃんは?」
椿が訊ねると、
「原吹なら樹里亜の車だ」
「そっかぁ……だいじょぶかにゃ……」
「……え、なにか危ないの?」
虎鉄が心配そうに眉を寄せる。
「う~ん」
「なんだ、なにかあるなら早く言え。そもそもなんで今頃……」
「いやね、椿ちゃんセンサーがそろそろヤバいかにゃ~って――」
その時、衝撃と共に一同の視界が傾いた。
その視界の中で、目の前を走る別の車両が煙を上げ急制動をかけている。煙の元は、車体にいくつも刺さった〝火矢〟か――つまり虎鉄たちの乗る車が、前の車との衝突を避けようと急ハンドルを切ったせいでバランスを崩し、車体が傾いているのだ。
「みんな! どこかに掴まれ‼」
駿河が叫ぶと同時に、激しい衝撃に襲われ遊撃車が横転する。
しかし窓に取り付けられた物々しい保護格子のお陰で、下敷きになった窓ガラス含め車体に支障はなかったようで、一同は天井になってしまった昇降口の扉を手動で開き、車外へと飛び出した。
周囲を見渡すと、何台もの遊撃車が同じよう車体に火矢を生やして横転したり、建物に突っ込んだりしていた。その内のどれかに刺さる矢の火がガソリンに引火したか、前方から轟音と熱風が吹きつける。
「うわっ!」
虎鉄が腕で顔を覆い、恐る恐るその隙間から立ち昇る黒煙を覗くと、
「……うそ……」
「あはは、ほーんと、マリッピーってこういうときにいないからなー」
椿も見上げる黒煙の向こう、通りを挟むビル群の屋上という屋上に、大量の影が蠢いていた。
「くっ、いつの間に……」
駿河が歯噛みする。
それらは〝ゴブリンアーチャー〟や〝オーク〟といった亜人たちの群であった。亜人たちは、駿河たち鎮護国禍部隊の周囲をすっかり取り囲み、皆一様にぎらついた目で弓や
「なるほど、どれくらいの群かと思ったが、たいした数だ――道明寺さん、これを」
駿河が虎鉄の傍により、ポケットから取り出したメモを手渡す。なんだろうと虎鉄が開いてみると、そこには「B棟 三一五号室」と走り書きがしてあった。
「これって……」
「尾張郁郎さんの病室です。調べておきました。ここからなら上恵大学附属病院へは走った方が近い――椿、頼めるな」
「おうよ! 話せるねぇ、ルガっち」
椿が笑顔で拳を握り上げるが、
「駿河君……でも」
虎鉄は煮え切らない表情で駿河を見る。椿はそんな虎鉄の肩に手を置くと、
「話、聞いてたにゃん。そのお友だち助けたいんじゃろ? ならせっかく駿河先生が男を見せてくれるってんだ、ここは乗っとこうぜい!」
「そういうわけです。上恵大学で会いましょう」
駿河は仄かに笑みを浮かべると、それぞれ遊撃車から脱出して周囲に集まってきていた衛士たちに号令を出す。
「一同、結印‼」
同時に、何か起こると察したか、亜人たちの群が手にした得物を次々と放った。
石や矢が、黒い雨のように降り注ぐ――が、それらは衛士たちに届く手前の空中で、見えない壁のようなものにあえなく弾かれてしまう。
「行け! 呪壁がもつうちに!」
駿河が叫び、椿が虎鉄の手を取る。
「走るぜい、コテっちゃん‼」
「……うん!」
虎鉄は意を決したように力強く答えると、一度駿河に目を合わせて頷きかけ、すぐ傍にあるビルの路地裏へと駆けこんでいった。
* * * *
まだ日が中天を過ぎたばかりだというのに、それでも薄暗い路地裏を虎鉄と椿が走り抜けていく。背後に聞こえていた戦闘の喧騒が次第に遠くなっていき、代わりに二人の足音が耳に残るようになる。
「……しっかし、おっかしいなぁ」
椿が走りながらそう口にし、
「なに……が?」
虎鉄が、若干息が上がりそうになりながらも返した。
「いやさぁ、物憑きって基本みんな好き勝手に動くんだよねぇ。なのにあんだけの数があんな風に統制取れた動きすっとかさ」
「そういうもんなの?」
「そそ、そういうもんな――うわっち‼」
「わっ!」
叫び上げつつ、椿が虎鉄の襟首をつかんで後ろに跳ね飛んだ。同時に元いた足元のアスファルトが、火花を散らして弾ける。
「お~、勘がいいねぇ~」
頭上から、嘲るような男の声がした。
二人が見上げると、またぞろ亜人たちがビルの屋上に群れを成しており、
「そんなに急いでどこに行くんだい? プッシーキャット」
その真ん中に、ハットを被ったロングコートの男が、やけに長いバレルの銃を弄びながら二人を見下ろしていた。
「わ~お、噂をすれば司令官のお出ましかよ」
「あれ、〝人〟……じゃないよね」
「そのとーり。人の形はしてるけど、立派な化け物ちゃんだにゃん」
そんな二人の会話を耳ざとく聞いた男は、眉根を寄せて不満げに口を突き出す。
「――チッチッチ、化け物とはご挨拶だなぁ。僕は僕の正義をまっすぐ愛すシェリフであり、その名を聞けば悪党どもは震えあがって逃げ出したもんなんだぜ?」
「はぁ? だからどうした星人だ、ばーろー」
椿が強気に言い返す。
「だから、キミらも覚えておいてよ」
男はにやついた笑みを顔に張りつけて二人に銃を向け、撃鉄を起こした。
「〝ワイアット・アープ〟だ――ばきゅーん♪」
銃口が火を噴き、それを合図と亜人たちが一斉に矢を射かける。
その範囲は広く、とても走って避けることなどできはしない。
その時、
「――お願いします!」
叫んだ虎鉄の前に、大きな血晶体が浮いていた。それが弾け、まるで太陽が地上に落ちたかのような眩い閃光を放つ。椿も、ワイアット・アープも、亜人たちも、思わず目をつむり、そして光が収まると――降り注いだはずの矢は全て同心円状に弾き飛ばされており、その中央に、全身に黄金の鎧を着こんだ男が、同じく黄金に輝く盾を頭上にかざして立っていた。
「はっはーー! 太陽燦々……でもねぇが、昼間ってんなら安心しな、あんちゃん!」
「ありがとうございます!」
そう礼儀正しく頭を下げる虎鉄が、いつの間にか紅く輝く血晶の鎧を纏っている。彼が呼び出したのは、日の光を浴びた時に強大な力を発揮したとされる伝説の騎士――『円卓』の一人、〝ガウェイン〟であった。
男を見て、ワイアットは目を細めて舌を打ち、椿が笑顔で虎鉄に駆け寄りその背を叩く。
「やるじゃんコテっつ~ん! なんだか紅輝も上がってね?」
「いやいや、もう既に必死だよ……」
「ご謙遜を♪ うおーっし、椿ちゃんもやったるかい‼」
そう言うと、椿は上着のポケットから鈴を取り出し、リンと一つ鳴らして印を結んだ。
その音は周囲の空気を震わせ、椿の体からいくつもの小さな紅い血晶を浮かび上がらせる。そしてそれらはひらひらと宙を舞って彼女の全身を包み込んでいき、弾けると共に、羽化したばかりの蝶のように、艶やかな血晶の羽となって広がった。
「はっ! なんだいそりゃ?」
ワイアットは高らかに笑いつつも、それ以上何もさせまいと、すかさずファニングショットで残ったシリンダーの全弾丸を一瞬で斉射してみせた。
放たれた弾は五発――虎鉄はまるで反応できず――しかし、瞬時にその前に滑り込ませたガウェインの盾が弾丸を弾いた。弾いた弾は二発――残りは当然椿を襲ったのだが、
「にゃふん♪」
いつの間にか椿の前面を覆っていた血晶の羽が、見事にそれら全てを弾き落とした。
しかし、
「椿ちゃん、駄目だ!」
羽の守りを解いた椿の目の前に、数十本という亜人たちの放った矢があった。ワイアットが弾丸を放ったあと、絶妙なタイミングで指示をして射掛けさせたのである。
だが椿は、
「甘い! 激甘に甘い!」
笑って右腕を振る――すると、降り注ぐ矢の軌道がわずかに右に逸れ、それが瞬く間に大きな曲線となり、ついには逆巻く大風となって迫る矢全てを宙へと舞い上げたではないか。
「へっへーん、んなもん椿に当たらすかボケェ‼」
「よ! 風はん男前!」
振り向き声をかける椿の後ろから、「かっかっか、褒めるな褒めるな!」と快活な笑い声と共に浮かび上がったのは、風袋を背に浮かべ、扇を手にした一本角の鬼神――〝風神〟。
次いで、
「ほなウチも、ゴロピカドンや」
聞こえたはんなり声のすぐあとに、ビルの上に耳をつんざく轟雷が落ちた。
ぼとりぼとりと悲しく焼け焦げた亜人たちが落下する向こうからさらに現れたのは、
「ふふ、油断したらあきまへんえ?」
雷太鼓を背に浮かべ、バチを手にした二本角の鬼神――〝雷神〟。
虎鉄が一体、椿が二体、「英血の器」たちが呼び出した三体の使い魔を見たワイアットは、すぐ真横で煙を上げる落雷跡の炎をブーツで踏み消しながら、感心したように口笛を吹いた。
「ふぅん、遠距離は意味が無さそうだねぇ。それじゃ直接叩くかな」
そして残った亜人たちを引き連れて屋上から飛び降りると、虎鉄たちの来た道を塞ぐように立ちはだかった。
虎鉄とガウェインを少し離れた背後に置いた状態で、丁度真正面でワイアットと対峙する形になった椿は、両サイドに風雷神を従え、虎鉄たちを守るように仁王立ちする。
「あれ? なにそれ? 彼と協力しないの? まさか一人で僕とやるつもり?」
ワイアットがロングバレルの銃を器用に回しながらにやにや笑みを浮かべる。
その銃を、
「………」
椿はなぜか目を細めて凝視している。そして、
「……コテっつーん。病院、この路地抜けたすぐ先だからさ、先行っててくんね?」
と背中越しに言った。
「え、なんで……」
虎鉄がそんなわけには、と明らかな動揺を見せると、
「すまんのぉ、あたしこいつに用事あるみたいなんだわ。この様子じゃ、まごまごしてるとお友だちアレかもしれないし、ね♪」
と、おどけた風に肩越しに振り向きウィンクをする。
一方、そんな二人のやりとりを聞いたワイアットは、
「あ、ごめぇん、〝そっち〟空いてると思った?」
と肩を揺らしせせら笑った。
その言葉に虎鉄が背後を振り向く。とはいえ、やはりそこは誰もいない――はずだったのだが、
「女の子……?」
気付くとそこに、人形を抱いた幼い少女が浮かんでいた。
《くく……逃がさないよ。役者が監督の許可なしに舞台から降りるなんてありえないだろう?》
本当にその少女が話しているのか、確かに女の子のものではあるのだが、やけに大人の男じみた物言いの声が頭に直接響く。しかし椿はちらりとその姿を確認しただけで、
「にゃん? 隠し玉かよ、せっこいなぁ」
と特に動揺も見せずに口を尖らせた。対して虎鉄はぷらぷらと宙に揺れる少女の白い足を見ながら、
「やっぱ、あの子も……?」
と不安気に言い、
「そりゃ
ガウェインがバキバキと指を鳴らしながら虎鉄と少女の間に進み出る。
するとワイアットが、ギャリンッとウェスタンブーツについた拍車を地面に擦りつけて片手を上げ、虎鉄たちを挟み反対側にいる少女に声をかけた。
「ヘイ! ランチの時間だ! せっかく
《ぬかせ小僧――それで、今日のメニューはなんだい?》
「当然――〝サンドイッチ〟だ!」
言うと同時に銃が火を噴き、合わせて亜人たちが一斉に口から咆哮と涎を飛び散らせて駆け出した。
「風はん、雷ちゃん、紅輝奮発すっからよ、盛り上げようぜい!」
「いよっしゃあ!」
「任せときぃ」
椿が念を送ると共に、風神がぶぉんと大きく扇を振るい、雷神がぎゅるんと素早くバチを回す――狭い路地にたちまち吹き上がった風雷が、亜人たちをきりもみに巻き上げ、焼き焦がしていく。しかし、相手の武器は〝数〟だ。惨くも心無く、仲間の屍を風避け、雷避けに使う亜人たちは、風と雷の威力に圧されながらもじりじりと間合いを詰めてくる。
その様子を後ろ目に見たガウェインは、
「んじゃ、挟まれちまう前にこっちは俺が突破しちまわねぇとなぁ――いっくぞおお!」
甲冑で覆われた灼熱の拳を容赦なく振りかぶった。
しかし、対する少女の笑みは崩れない。
「お~ら、ばっこおおおおん!」
その拳があたる刹那、少女の持つ人形が裂けたかと思うと、なんと、その布が通路一面を覆う程に広がった。しかしガウェインは構うことなく拳を振り抜く――。
ガイイインッ! と、派手な音がしてガウェイン拳が弾かれた。
「かってええっ! なんだこりゃ⁉ 布じゃねぇのか⁉」
《あはは、こんな少女に防がれるなんて、なかなか素敵な悪夢だろう? 騎士殿……ん? でも騎士が少女に拳を振るうなんて許されるのかい?》
そう笑う少女――いや、もう既に少女の形はしていなかった。広がる布の中央がテントのトップのようにきゅっとすぼまり、その先に大きな丸いつぎはぎの頭がついている。その見た目はまるで大きな「テルテル坊主」のようで、しかし不気味なことに、そのあちこちに人の目玉や骨、歯などが縫い付けられ、ぶら下げられていた。
「うぅ……何だあれ……」
虎鉄が青ざめた顔で後ずさる。
「な、化けもんだろ?――おいてめぇ! 布人形のくせにかっちかちとか大概だぞ! 生憎うちの『円卓』は規律がゆるいんだ! 子供だろうが人形だろうが、大概なやつは説教かますって決めてんだよ!」
言いつつガウェインが、今度は助走をつけて思い切り拳を撃ち込んだ。しかし、まさしく不可解な光景なのだが、灼熱の拳はやはり布を揺らすことさえできずに跳ね返されてしまう。
《無駄無駄。さぁさぁ、それじゃあ優しく悪夢に包みこんで、みんな私の『劇団』に入れてあげよう!》
隙間なく壁に接した布端がズズッと前進し始め、ガウェインと虎鉄がじりりと後退する。
すると、戦いながらもその様子を見ていたのか、後方から風神が大声で声をかけた。
「おーーい! あかんわ、金ぴかのあんちゃん! そいつ〝ナイトメア〟やで!」
「そやねぇ。その子、ウチらの焦がした敵さんの魂吸い上げて、その分どんどん固くなってはるわぁ。いうたら〝魂の鎧〟やねぇ」
「はは! せやかてこっちも手ぇ抜けへんしんなぁ」
「ほんに、困ったなぁ」
雷神がしなを作り、くくくと笑う。
「うっそ、マジかよ⁉ あっちが殺れば殺るほど固くなるってか……」
ガウェインはあんぐりと口を開けるが、言う間にも、亜人たちはどんどん屍を増やしていき、その度に魂を吸ったナイトメアの布が膨れ上がっていく。
《そういうわけだ。さっきので駄目ならもう無理なんじゃないか? 諦めるんだね、〝『創世』の使い魔〟たち。『混沌』の奴らはいけ好かないが、なにかと利害が一致するんでね、このまま仕事を済まさせてもらうとするよ」
布から生やした牙を、目を、骨を、わきわきと嬉しそうに揺らしながら、ナイトメアが虎鉄とガウェインを包み込もうとする。するとガウェインは、ガッと虎鉄の肩を掴んで引き寄せ、
「固ぇやつをぶっ壊すにゃ、わかりやすいのが一番だ! 急ぐぞあんちゃん――」
その耳元に何かを囁いた。
同時に、
《無駄だって。我が劇団へようこそ》
とうとう巨大な布が二人を包み込んでしまった。
その布が――ぷくりと風船のように膨れ上がった。
「揮え! 我が聖槍‼」
「貫け、カリバアアアアアン‼」
二つの声と共に、凄まじい閃光がナイトメアの布を貫いた。
《いっててて‼》
あわててと布をすぼめたナイトメアの向こうに、紅い燐光を纏い、新たな二人の騎士が立っていた。
長槍を構えた一人は、森の木漏れ日のようにまっすぐ落ちる美しい金髪を揺らし、緑色の軽甲冑を身に着けた女騎士、
「ご無事ですか、ロード!」
『円卓』が一人――〝パーシヴァル〟。
いま一人は子供のような見た目によらず、身の丈程もある長剣を軽々と回し、夕暮れの稲穂のようにやわらかなブロンドヘアをかき上げて笑うその笑顔がよく似合う、白いマントの少年、
「わぁ~、こんな狭いところでみんなよくやるねぇ」
『円卓』の王――〝キング・アーサー〟。
「見たか! 流石だろ、うちの大将と特攻隊長は! やっぱどえらい固ぇのには、どえらい火力が一番だぜ!」
ガウェインが興奮気味に虎鉄の頭をわしわしと掻く。
すると、背後の攻勢を察した椿が振り向き、
「コテっちゃん! 今の内だ! あたしの屍を越えて行けい‼」
ビッと親指を突き立てて叫んだ。
しかし、
「うぅ……」
それでも迷う虎鉄を見たアーサーは、高く浮かんで距離を取るナイトメアに剣先を向けながら、虎鉄に背を寄せて言った。
「虎鉄君、聞いてたよ。彼女は僕らが守る。だから安心して友だちを助けに行って――何もしないで後悔するのは駄目だ」
優しくも、芯のある言葉と視線――それを受けた虎鉄は、もう一度椿を見た。
椿は、戦う風神、雷神に紅輝を送りながらも虎鉄ににかりと笑いかけ、その手前でパーシヴァルとガウェインが、「任せろ」とばかりに槍を回し、拳を打ち鳴らす。
そして、虎鉄は下を向き――。
「椿ちゃん‼」
「にゃん⁉」
突然の大声に、椿がびくんと肩を跳ね上げ、
「屍なんて、冗談じゃないよ‼」
その言葉にきょとんとした顔をする。
「でも、ありがとう! 待っててね! すぐに戻るから!」
虎鉄は、がばっと勢いよく頭を下げた。
椿はなにごとかとなりつつも、その言葉を反芻し、
「おうさ! 頼りにしてるよん! コテっちゃん♡」
とキスを投げた。
虎鉄は頭を下げたままなので、残念ながらその所作は見ていない。
「……頼りに――」
しかし耳に届いたその言葉を繰り返し、拳を握り込むと、
「よし‼」
気合い一声、背をひるがえして路地の奥へと駆け去った。
その様子を白けた表情で見ていたワイアットは、
「君らさぁ、恥ずかしくないの? ほーんと、正義気取りの悪党どもってさ、いつだって無駄なドラマティックが好きだよねぇ」
と、目の前で死に続ける仲間の亜人を余所に銃を弄ぶ。
いつもであれば、椿はそういう振りに飄々としたノリで返すのだが、なぜか言葉はない。代わりに返したのは、椿らしからぬ、ひどく冷めた視線だった。
「だーれが悪党だ、バーカ。さっきからチャカチャカやってるその銃よぉ――てめぇだな、『朱夏』の仲間殺ったの。こっからは容赦なし、バッチバチのステゴロだぁ。かかってこいよコノヤロウ」
椿は地に唾を吐いて、ずんと小さな足を踏み出した。
* * * *
ヒュウヒュウと肺が悲鳴を上げ、心臓が破裂しそうに激しく脈打つ。
目的地はまだだろうか――あと少しだろうか――長い路地をほぼ全力疾走で駆け続けた虎鉄は、鉤型の角を曲がり、路地が開けたところで目を見張った。
正面数十メートル先に、とうとう上恵大学附属病院の正面玄関が見えた。しかしその手前のロータリーには、道路を埋め尽くすほどの亜人たちがひしめいていたのだ。
「……くっそ……」
それでも、虎鉄は走る速度を緩めなかった。
ゼヒゼヒと口の端から荒い呼吸が漏れ落ちる。
そんな虎鉄に、一体のオークが気付いた。するとそれをきっかけに、視線の波がぞわぞわと音を立てて広がっていき、全ての亜人たちのぬらりとした瞳が虎鉄を映した。
グルゥ――初めの一体が棍棒を握り締めて唸り声を上げ、一体、また一体と歩を踏み出し、走り始め、見る間に怒涛の黒い波となって虎鉄に襲いかかった。
それでもやはり、虎鉄は速度を緩めない。歯を食いしばり、しっかと開いた
「小太郎殿おお‼」
「――承知」
渦巻く紅い木枯らしと共に、虎鉄の前に現れた忍装束の影――風魔小太郎が、両手に携えた巨大な風魔手裏剣を振りかぶり、思い切り投げ放った。
風を切りまっすぐ飛翔する刃は、走る虎鉄を先導するように遮るものを次々と斬り飛ばし、亜人の群に無慈悲な赤い道を作り出す。
虎鉄は、次々と生み出される屍に足を取られ、その体液を浴びながらも必死に走り続け、とうとう、風魔手裏剣がぶち破った正面玄関に頭から飛び込んだ。
無様に顔面から着地して鼻血が出るも、身に宿るアルカナの力がすぐにそれを乾かす。
ここに至るまでは、正直、自分がここまでやれると思っていなかった。怖くて、不安でしかたなかった。「助けたい」とは言ったものの、そもそも郁郎は一度怪物になりかけているのだ。もしかしたら、今回の共鳴でとっくに怪物になってしまっているのかもしれない――それでも、駿河が、椿が、使い魔たちがここまで後押ししてくれた。
(――なら、行かなきゃだろ‼)
そう自分に言い聞かせると、乾いた鼻血をこすり落として立ち上がり、ロビーの案内板を見上げた。
「B棟……三一五号室……!」
行き先を確認し、再び走り始める。
ロビーをまっすぐ抜け、階段を駆け上る。
幸運にも、病院内に怪物たちの姿は見えない。
渡り廊下を抜けてB棟に入った。
無人のナースステーションを超えると病室が並び、
「三〇一……三〇三……三〇四……」
次第に、周囲に何者かが激しく争ったような形跡が見て取れるようになる。
「……三〇七……三〇八……」
不安が増す。どくどくと跳ね上がる脈を感じる。
そして、ついに「三一五号室」の表示が見えた。
扉は、閉じている。
虎鉄は倒れ込むように引き戸の取っ手を掴み、思い切り開け放った――。
そこは個室で、たった一つのベッドには――誰もいない。
しかしその横に立つ人影があった。
そのシルエットを見て、虎鉄は膝からがくりと力が抜けるのを感じた。
「千尋……さん?」
そこにいたのは、神名千尋だった。
「……虎鉄……?」
千尋もまた、驚いたように虎鉄を見た。
まったく予想していなかった。舞浜で行方知れずとなった彼に、このような場所で再会できようとは、思うはずもなかった。しかし、考えてみればそう不思議なことでもないのかも知れない。これ程共鳴被害が広がってしまった今、千尋や虎鉄が身を寄せていたマルディウス教会が無事かは分からない。ましてや、千尋は虎鉄たちが鎮護国禍に保護されていたことなど知る由もないし、だとすれば、もはや彼に行く場所はない。生き延びたのなら、少しでも繋がりのあった者を探し、郁郎がいるかも知れないこの病院に足を向けるのも分からない話ではなかった。虎鉄はそんなことを思いつつも、体から張りつめた気が抜けていくのを感じながらつぶやいた。
「よかった……無事だったんだ……」
「うん……虎鉄も、無事でよかった」
「千尋さんも郁さんを……?」
その問いに、千尋は少し言葉を詰まらせたが、
「僕が来た時には、いなかった」
と目線を空のベッドに落とす。
やはりか、とショックではあった。千尋の様子を見るに、きっと同じ思いでいるのだろう。ただ、不思議と絶望は無かった。それは予想していたことでもあったし、ここまで来られたことで生まれた自信と、最大の胸のつかえが取れたことが、虎鉄の心を折れぬよう支えたのかもしれない。虎鉄は、ぐっと体に力を入れて立ち上がると、
「そっか……それじゃ探しにいかなきゃね!」
と、気丈に笑みを浮かべてみせた。
しかし――。
「どうかな」
千尋はそう口にした。
「え……と……」
「どうかな」とは、どういう意味だろうか? 〝二人だけで探しに行くのは危険だ〟、〝郁郎は既にどこかで保護されているかもしれない〟、〝もう手遅れかもしれない〟――いくつか思い浮かべはしたが、そのどれでもないことを、千尋の冷ややかな目が雄弁に語っていた。
「――郁郎もさ、東京に集められた〝ハンター〟なんだ。一緒にいたって、いつ怪物化して襲ってくるともかぎらない」
冷たい、言葉だった――にわかに虎鉄の中に、この十年間、千尋に感じたことの無かった熱く、黒い感情が頭をもたげた。
「じゃあ、なんでここにいるんだよ……郁さんを助けに来たんじゃないの?」
「うん。いろいろ考えて、そういう自分の気持ちを確かめたくてここにきた……でも……」
「でも、何さ!」
いや、初めてではないか――つい最近もあった。赤谷犬樹と葵順が悲しい最期を遂げた時、千尋は「全部自分たちの所為でしょ」と冷たく吐き捨てた。そのときも、虎鉄は一瞬この感情に駆られていた。しかし、自分の中にそんなものがあることを認めたくないとでも言うように、虎鉄は無理やり笑みを浮かべてみせた。
「はは、どうしちゃったのさ……そっか、千尋さんも不安なんだよね? 怖いんだよね? わかるよ――そうだ! 今オレさ、鎮護国禍の人たちにお世話になってるんだ。ほら、椿ちゃんと黒髪さんが所属してるっていうあれ! 千尋さんも一緒に行こうよ! 鎮護国禍の人たちいい人だよ? 柿原さんたちも探してさ、そしたらみんなで力合わせて東京を取り戻して――」
しかし、虎鉄の笑顔はとても歪で、
「取り戻す――?」
目線を戻しそれを見る千尋の目はやはり冷たく――。
「東京を? 虎鉄こそどうしたのさ。僕たちはヒーローじゃない。むしろ東京はこの国に生贄にされたんだ。僕たちを殺すために――その〝国〟と繋がってる彼らは信用できないし、そんな風に思うなんて虎鉄も利用されてるのかもしれない。もうこの世界に僕らの居場所なんてないのかもしれないし――」
千尋は、もはや笑みが消えてしまった虎鉄の顔をまっすぐ見つめ、
「したくはないけど、僕たちも、殺し合わなけりゃいけなくなるのかもしれない」
そう言った。
「そんな……はず、ないだろ?」
虎鉄が問う、
「………」
しかし千尋は答えない。
「大丈夫だろ……? ねぇ、『大丈夫』ってさ、言ってよ……〝あのとき〟みたいに!」
千尋は虎鉄の言った意味を測りかねたように少し眉を寄せたが、泣き出しそうな様子で訴えるその言葉を反芻し、何かに思い至ったように、
「虎鉄――〝あれ〟は、そういう意味じゃないよ。僕は、この世界が嫌いなんだ。世界も僕が嫌いみたいで、どこにも居場所をくれようとはしない。今も、こんな風にね。だから僕はどこにもいない――そう思ったんだ。そんな僕を、虎鉄も信じられなくなるかもしれない」
「なんでさ! オレはいつだって――」
「そうかな――怪物になったオヤジさんから、僕はどうやって助かったと思う?」
そのことは、虎鉄も考えたことはあった。けれど、その答えを聞きたくなくて、ずっと考えないようにしていた――。
「僕が――殺したんだ」
感情が、黒く、はっきりとした形を帯びていく。
「うそ……でも仕方ないよね、そんなの……あんな状況じゃ……」
「それでも、僕を許せる?」
「仕方……ないだろ……」
「本当にそうかな。虎鉄は優しいから、今はそう言えるのかもしれない……でも僕は――」
千尋は下を向き、じっと自分の手のひらを見る。
「とにかくもう、教会にも、そこにも行けないよ」
そして虎鉄に背を向けると、黙って窓を開けた。
距離があり、届かぬその背を掴もうと、虎鉄はよろけるように手を伸ばす。
「ねぇ……頼りないかもしれないけどさ、オレを頼ってよ! ずっと一緒にそうやってきたじゃんか!」
「ごめん。虎鉄はそうだったかもしれないけど、きっと僕は一人だった――自分でも、どうにもならないくらい」
「そんな……」
絶句する虎鉄を背に、千尋は人差し指を噛み、流れ落ちる血から血晶を纏う。そして窓の外に大きな血晶体を浮かび上がらせると、巨大な石像の獣――〝スフィンクス〟を呼び出してその頭に飛び乗った。
「虎鉄もさ、自分の道は自分で決めた方がいい。じゃないと、いつか誰かに殺されるかもしれないよ。それじゃ――元気で」
そう言って、千尋は去った。
病室に一人残された虎鉄は、
「…………なんでだよ……千尋さん‼」
そう絞り出すようにつぶやくと、強く、強く、紅い血が滲みこぼれる程に握った拳を、誰もいないベッドに叩きつけた。