2.
NieR:Automata
「破棄ノ記憶」
11945年。
人形と機械による永い永い戦争に、終わりの気配が近づいた頃。
争いの爪痕が残る森に、一体の「機械生命体」が立っていた。二つの脚に支えられた大きな銅色の体。背中の機構には、ガラクタが沢山詰められた布製の袋がぶらさがっている。
彼は上を見上げた。木々の枝葉は焼け落ち天を遮るものはないが、不思議と辺りは暗い。とりわけ太い一本の幹は、辛うじてまだ大地を踏みしめているものの、再び緑めく気配は見られない。
彼は、鉄でできた無骨な腕で大樹に触れ、呟く。
「パスカルさん、ここは一人でいるには広すぎますね」
この場所は、パスカルと呼ばれる「機械生命体」が作った村だった。
地球を侵略したエイリアンが作り出した兵器、「機械生命体」と、月に逃げ延びた人類が作り出した人形、「アンドロイド」。命なき両者による戦争は拮抗し、途方もない年月をすり潰している。
しかし、その中で、平和を夢見る機械生命体が現れた。それがパスカルだ。
パスカルが立ち上げた村はその名を冠して「パスカル村」と呼ばれ、同じく争いを好まない機械生命体達の拠り所となった。
しかし今はもう、機械達の生活の気配は失われている。かつてあった住居も、そこに暮らしていた住人達も残っていない。
今のここには、ただ“ガラクタ”で作られた歪な花が咲いているだけ。
シャフトの茎に、鉄板の破片でできた葉。花芯には複雑な作りの球体が据えられ、その周りを歯車の花弁が囲む。そんな奇妙なオブジェが、等間隔にポツポツと立っていた。焼けた森で寄り添うでもなく、風にも揺れず冷たく立っているだけだ。
ガラクタ袋の彼は大樹から離れると、今度はそのうちのひとつの花をそっと撫でる。ギギギと金属がこすれる音がした。その耳心地の悪い音は、辺りの静寂を浮き彫りにする。
彼によく似た肌触りの花達が、彼の孤独を埋めることはない。
ガシャガシャ。
静寂を壊すように遠くで音が鳴った。音は、どんどんと彼のもとへ近づいてくる。
そして、その音がピタリと止んだとき。彼の前には、両腕にガラクタを抱えた小さな機械生命体が立っていた。人にたとえるならば子供とでも呼ぶべき風貌をしたその機械は、たどたどしい発声で彼に話しかける。
「オジサン、モッテキタヨ。モッテキタヨ」
子供の機械は、彼にガラクタを差し出した。
彼は相手に目線を合わせるようにしゃがみながら、それを受け取る。
「いつもありがとうございます。これで花が増やせます」
元々沢山の機械生命体達が暮らしていたこの場所には、もうガラクタ袋の彼以外は誰も住んでいない。けれどこの子供はいつもどこからともなくやってきて、彼に材料となるガラクタをくれるのだった。
彼はさっそくパーツの選別をはじめた。ちょうどいいものは、背負った袋の中へとしまい込む。
子供の機械はそんな彼に、なぜいつも花を作っているのかと問いかけた。
「なぜ……ですか……すみません。自分でも分からないのです。自分自身のことですら……」
と、ガラクタ袋の彼は困ったように笑う。
彼には記憶がない。気づいたときには、この村を目指して歩いている最中だった。それ以前のことは何も覚えていない。
そして彼がこの村に辿り着いたとき、最初に見たものは、壊れた村と大量のガラクタだった。
ここで何があったのか、彼には分からない。ただ彼は居心地が悪かったので、散乱していたそれらを片づけた。
それから今度は伽藍洞になった村が物寂しくて、少しでも賑やかしになればと機械の花を作っている。
なんだか、そうしないと居心地が悪かった。そうしなくては、いけない気がした。
だけどやはり、その理由は分からない。何も思い出せないのだ。
彼は子供の機械にそう打ち明けると、最後にこう言った。
「過去の私を知る人は、私を“パスカル”と呼びますが……」
子供の機械は相槌を打つでもなく、彼の話を聞いていた。内容をすべて理解できているのかは怪しい。
「モシカシタラ、オジサンハ、オハナガ、スキダッタノカモ」
子供はそう言った。
それから自分が近くの峡谷に花を摘みに行き、彼にプレゼントすると続ける。それは機械の花ではない、本物の美しい花だ。なんでも、珍しいものなのだという。
しかし、ガラクタ袋の彼は喜ぶことができなかった。その峡谷を、武装したアンドロイド達が根城にしているのを知っていたからだ。
全体の局面を見れば、機械生命体とアンドロイドの戦争は一旦の落ち着きを見せている。それでも、両者の和平を拒み、再び戦火を上げようとする者達が存在する。“過激派”と呼ばれるそのアンドロイド達は、機械生命体を一網打尽にする機会を待ち望んでいた。
この子供は、それを知らないようだ。だから教えてあげなければ。
その峡谷に行くのはやめなさい。
なぜなら……
なぜならその峡谷は……
分からない。
彼の思考が、突然止まる。
言いたいはずの言葉が、何も出てこない。
過激派のアンドロイドがいる峡谷に行くこと。その先に待つ感情が何であるのか、分からないのだ。
生き物ならば本能的に理解しているであろう感情。生き物を模した機械にも、当然備わっているべき感情。その欠落によってエラーを引き起こし、彼は動けなくなってしまう。
けれど子供の機械生命体は、彼の異状に気がつかない。
「ココデ待ッテテネ! ヤクソク。ヤクソク」
子供の機械は指切りのつもりだろうか? 指と呼ぶには大雑把なパーツで、彼の手をつまんだ。
ギギギ。
彼は小さな金属音を聞きながら、その手を握り返して引き止めたいと思った。しかし、依然として体は動かない。
待って、待ってください……そんな言葉を発声することすらできない。
大樹の影がゆっくり時間をかけ伸びていく。走り去る子供の背中に手を伸ばしたかった彼の気持ちを代弁するかのように。
けれど影は伸びたり縮んだりしながら、無力に辺りを回るだけ。彼は大樹の影が己の体を通り過ぎるのをじっと眺めながら、自問する。
「パスカルさん……どうして貴方は、私になったのでしょう」
かつてここにあった村を治めていたパスカル──自分は、どうして記憶を失ってしまったのか。
おそらく、記憶が消えてしまうほどの……消さなくてはいけないほどの……何かが起きたのだろう。
そしてそれは、ここにあった村が無惨に破壊されていたことにも関係しているのかもしれない。
しかし、そんな推測すらも、欠落した感情が引き起こしたエラーによって邪魔をされた。
*
それから大樹の影が三周した頃。ガラクタ袋の機械生命体は、ようやく体を動かせるようになった。
彼は再び、ガラクタで花を作りはじめる。ひとつひとつ丁寧に。その本当の意味も分からないままに。
花を摘みに行った子供は、まだ帰ってきていない。
だが彼は、そのことを考えないようにしていた。いや、考えられなかったというほうが正しいのかもしれない。
感情の欠落によって引き起こされるエラー。それを防ぐために、彼の思考回路は無意識のうちにあの子供のことを追い出していたのだ。
そうして彼はもう、あの子のことを思い出すことがなくなっていた。
彼が花作りに没頭していると、静かな森の中に足音が鳴った。けれどそれは、機械生命体のものではない。一人のアンドロイドの女性だった。
彼女は、自らをレジスタンスの隊員だと名乗った。レジスタンス──つまり、地球を拠点にして、機械生命体達との戦いを続けているアンドロイドの部隊のことだ。
「はい、こんにちは」
ガラクタ袋の彼がそう挨拶すると、レジスタンスのアンドロイドは呆気にとられた表情をした。
「噂に聞いていた通り、ずいぶんと穏やかな機械生命体らしい」
この頃、機械生命体とアンドロイドの戦争は一旦の落ち着きを見せている。
それでも機械生命体がアンドロイドに対して、一切の敵意や警戒を見せないのは珍しい。
とはいえ、二人は談笑するような関係でもない。レジスタンスのアンドロイドは、手短に用件だけを告げた。
「近く、過激派のアンドロイド連中が蜂起するという情報が入った。たとえ同胞であろうと、和平を乱す奴らを見逃すことはできない。奴らが行動を起こす前に叩こうと思っている」
そうして彼女は、ガラクタ袋の機械生命体にレジスタンスへの支援を申し込んだ。
アンドロイドと、機械生命体。本来は敵対する関係であると、当然ながら彼女も分かっている。しかし、争いを止めるためならば、手を組む相手は誰であろうと構わない。だから、ここ──パスカル村の跡地に来た。ここには、“平和を愛する機械生命体”がいるという情報を聞いていたからだ。
そして実際に、ガラクタ袋の機械生命体は、相手がアンドロイドであろうと敵意を向けたりしなかった。
彼ならば、自分達の志に協力してくれるだろう。レジスタンスのアンドロイドは、そう確信していた。
そして彼女の期待通り、ガラクタ袋の彼は「分かりました」と申し出を了承し、他の地域にいる機械達にも協力を呼び掛けることを約束した。
パスカルならそうしただろうと考えてのことだった。
*
旧パスカル村近くの峡谷で起きた、過激派アンドロイドとレジスタンス・機械生命体連合軍の衝突。戦いは、レジスタンスと機械達の勝利で終わりを告げる。
ガラクタ袋の機械生命体は、無事に生き残っていた。しかしそれは、彼が後方支援に回っていたためだろう。戦場に転がるアンドロイドや機械生命体達の死体が、戦いの凄惨さを物語っている。彼は、辺りに残る火を呆然と眺めるばかりだった。
そこに現れたのは、彼に協力を持ちかけてきたアンドロイドの女性。彼女は、酷い怪我をしたレジスタンスの隊員に肩を貸している状態だ。
「私達だけだったら、戦力は互角だった。勝利の決め手は、あんたら機械と手を取り合えたことだ。感謝する」
彼女の礼に、彼は「いえいえ」と短く返すだけだった。
過激派アンドロイドのうち数名は逃げたようだったが、遠くないうちに見つけ出され、粛清されるだろう。
「それでは、引き続き頑張ってください」
彼はそう言って、帰路につこうとする。
しかし、一歩目、二歩目と踏み出したところで、足元に小さな花を見つけて立ち止まった。
それは機械ではない。珍しい形をした本物の花。赤紫色をした花弁が、立ち上る火のようにチラチラと天に向かっている。
彼は、花の傍らに、小さな“ガラクタ”が落ちていることに気がついた。
何気なく手を伸ばしてみる。
ガラクタに触れると、小さくギギギと金属がこすれる音がした。
この音を聞いたことがある。
指と指を重ね合わせたときの、約束の音。
忘れていたことを、今になって思い出した。
彼は、その場に膝から崩れ落ちた。
「そうかこれは……」
人形と機械による永い永い戦争に、終わりの気配が近づいた頃。
争いの爪痕が残る森に、一体の「機械生命体」が立っていた。二つの脚に支えられた大きな銅色の体。背中の機構には、ガラクタが沢山詰められた布製の袋がぶらさがっている。
彼は上を見上げた。木々の枝葉は焼け落ち天を遮るものはないが、不思議と辺りは暗い。とりわけ太い一本の幹は、辛うじてまだ大地を踏みしめているものの、再び緑めく気配は見られない。
彼は、鉄でできた無骨な腕で大樹に触れ、呟く。
「パスカルさん、ここは一人でいるには広すぎますね」
この場所は、パスカルと呼ばれる「機械生命体」が作った村だった。
地球を侵略したエイリアンが作り出した兵器、「機械生命体」と、月に逃げ延びた人類が作り出した人形、「アンドロイド」。命なき両者による戦争は拮抗し、途方もない年月をすり潰している。
しかし、その中で、平和を夢見る機械生命体が現れた。それがパスカルだ。
パスカルが立ち上げた村はその名を冠して「パスカル村」と呼ばれ、同じく争いを好まない機械生命体達の拠り所となった。
しかし今はもう、機械達の生活の気配は失われている。かつてあった住居も、そこに暮らしていた住人達も残っていない。
今のここには、ただ“ガラクタ”で作られた歪な花が咲いているだけ。
シャフトの茎に、鉄板の破片でできた葉。花芯には複雑な作りの球体が据えられ、その周りを歯車の花弁が囲む。そんな奇妙なオブジェが、等間隔にポツポツと立っていた。焼けた森で寄り添うでもなく、風にも揺れず冷たく立っているだけだ。
ガラクタ袋の彼は大樹から離れると、今度はそのうちのひとつの花をそっと撫でる。ギギギと金属がこすれる音がした。その耳心地の悪い音は、辺りの静寂を浮き彫りにする。
彼によく似た肌触りの花達が、彼の孤独を埋めることはない。
ガシャガシャ。
静寂を壊すように遠くで音が鳴った。音は、どんどんと彼のもとへ近づいてくる。
そして、その音がピタリと止んだとき。彼の前には、両腕にガラクタを抱えた小さな機械生命体が立っていた。人にたとえるならば子供とでも呼ぶべき風貌をしたその機械は、たどたどしい発声で彼に話しかける。
「オジサン、モッテキタヨ。モッテキタヨ」
子供の機械は、彼にガラクタを差し出した。
彼は相手に目線を合わせるようにしゃがみながら、それを受け取る。
「いつもありがとうございます。これで花が増やせます」
元々沢山の機械生命体達が暮らしていたこの場所には、もうガラクタ袋の彼以外は誰も住んでいない。けれどこの子供はいつもどこからともなくやってきて、彼に材料となるガラクタをくれるのだった。
彼はさっそくパーツの選別をはじめた。ちょうどいいものは、背負った袋の中へとしまい込む。
子供の機械はそんな彼に、なぜいつも花を作っているのかと問いかけた。
「なぜ……ですか……すみません。自分でも分からないのです。自分自身のことですら……」
と、ガラクタ袋の彼は困ったように笑う。
彼には記憶がない。気づいたときには、この村を目指して歩いている最中だった。それ以前のことは何も覚えていない。
そして彼がこの村に辿り着いたとき、最初に見たものは、壊れた村と大量のガラクタだった。
ここで何があったのか、彼には分からない。ただ彼は居心地が悪かったので、散乱していたそれらを片づけた。
それから今度は伽藍洞になった村が物寂しくて、少しでも賑やかしになればと機械の花を作っている。
なんだか、そうしないと居心地が悪かった。そうしなくては、いけない気がした。
だけどやはり、その理由は分からない。何も思い出せないのだ。
彼は子供の機械にそう打ち明けると、最後にこう言った。
「過去の私を知る人は、私を“パスカル”と呼びますが……」
子供の機械は相槌を打つでもなく、彼の話を聞いていた。内容をすべて理解できているのかは怪しい。
「モシカシタラ、オジサンハ、オハナガ、スキダッタノカモ」
子供はそう言った。
それから自分が近くの峡谷に花を摘みに行き、彼にプレゼントすると続ける。それは機械の花ではない、本物の美しい花だ。なんでも、珍しいものなのだという。
しかし、ガラクタ袋の彼は喜ぶことができなかった。その峡谷を、武装したアンドロイド達が根城にしているのを知っていたからだ。
全体の局面を見れば、機械生命体とアンドロイドの戦争は一旦の落ち着きを見せている。それでも、両者の和平を拒み、再び戦火を上げようとする者達が存在する。“過激派”と呼ばれるそのアンドロイド達は、機械生命体を一網打尽にする機会を待ち望んでいた。
この子供は、それを知らないようだ。だから教えてあげなければ。
その峡谷に行くのはやめなさい。
なぜなら……
なぜならその峡谷は……
分からない。
彼の思考が、突然止まる。
言いたいはずの言葉が、何も出てこない。
過激派のアンドロイドがいる峡谷に行くこと。その先に待つ感情が何であるのか、分からないのだ。
生き物ならば本能的に理解しているであろう感情。生き物を模した機械にも、当然備わっているべき感情。その欠落によってエラーを引き起こし、彼は動けなくなってしまう。
けれど子供の機械生命体は、彼の異状に気がつかない。
「ココデ待ッテテネ! ヤクソク。ヤクソク」
子供の機械は指切りのつもりだろうか? 指と呼ぶには大雑把なパーツで、彼の手をつまんだ。
ギギギ。
彼は小さな金属音を聞きながら、その手を握り返して引き止めたいと思った。しかし、依然として体は動かない。
待って、待ってください……そんな言葉を発声することすらできない。
大樹の影がゆっくり時間をかけ伸びていく。走り去る子供の背中に手を伸ばしたかった彼の気持ちを代弁するかのように。
けれど影は伸びたり縮んだりしながら、無力に辺りを回るだけ。彼は大樹の影が己の体を通り過ぎるのをじっと眺めながら、自問する。
「パスカルさん……どうして貴方は、私になったのでしょう」
かつてここにあった村を治めていたパスカル──自分は、どうして記憶を失ってしまったのか。
おそらく、記憶が消えてしまうほどの……消さなくてはいけないほどの……何かが起きたのだろう。
そしてそれは、ここにあった村が無惨に破壊されていたことにも関係しているのかもしれない。
しかし、そんな推測すらも、欠落した感情が引き起こしたエラーによって邪魔をされた。
*
それから大樹の影が三周した頃。ガラクタ袋の機械生命体は、ようやく体を動かせるようになった。
彼は再び、ガラクタで花を作りはじめる。ひとつひとつ丁寧に。その本当の意味も分からないままに。
花を摘みに行った子供は、まだ帰ってきていない。
だが彼は、そのことを考えないようにしていた。いや、考えられなかったというほうが正しいのかもしれない。
感情の欠落によって引き起こされるエラー。それを防ぐために、彼の思考回路は無意識のうちにあの子供のことを追い出していたのだ。
そうして彼はもう、あの子のことを思い出すことがなくなっていた。
彼が花作りに没頭していると、静かな森の中に足音が鳴った。けれどそれは、機械生命体のものではない。一人のアンドロイドの女性だった。
彼女は、自らをレジスタンスの隊員だと名乗った。レジスタンス──つまり、地球を拠点にして、機械生命体達との戦いを続けているアンドロイドの部隊のことだ。
「はい、こんにちは」
ガラクタ袋の彼がそう挨拶すると、レジスタンスのアンドロイドは呆気にとられた表情をした。
「噂に聞いていた通り、ずいぶんと穏やかな機械生命体らしい」
この頃、機械生命体とアンドロイドの戦争は一旦の落ち着きを見せている。
それでも機械生命体がアンドロイドに対して、一切の敵意や警戒を見せないのは珍しい。
とはいえ、二人は談笑するような関係でもない。レジスタンスのアンドロイドは、手短に用件だけを告げた。
「近く、過激派のアンドロイド連中が蜂起するという情報が入った。たとえ同胞であろうと、和平を乱す奴らを見逃すことはできない。奴らが行動を起こす前に叩こうと思っている」
そうして彼女は、ガラクタ袋の機械生命体にレジスタンスへの支援を申し込んだ。
アンドロイドと、機械生命体。本来は敵対する関係であると、当然ながら彼女も分かっている。しかし、争いを止めるためならば、手を組む相手は誰であろうと構わない。だから、ここ──パスカル村の跡地に来た。ここには、“平和を愛する機械生命体”がいるという情報を聞いていたからだ。
そして実際に、ガラクタ袋の機械生命体は、相手がアンドロイドであろうと敵意を向けたりしなかった。
彼ならば、自分達の志に協力してくれるだろう。レジスタンスのアンドロイドは、そう確信していた。
そして彼女の期待通り、ガラクタ袋の彼は「分かりました」と申し出を了承し、他の地域にいる機械達にも協力を呼び掛けることを約束した。
パスカルならそうしただろうと考えてのことだった。
*
旧パスカル村近くの峡谷で起きた、過激派アンドロイドとレジスタンス・機械生命体連合軍の衝突。戦いは、レジスタンスと機械達の勝利で終わりを告げる。
ガラクタ袋の機械生命体は、無事に生き残っていた。しかしそれは、彼が後方支援に回っていたためだろう。戦場に転がるアンドロイドや機械生命体達の死体が、戦いの凄惨さを物語っている。彼は、辺りに残る火を呆然と眺めるばかりだった。
そこに現れたのは、彼に協力を持ちかけてきたアンドロイドの女性。彼女は、酷い怪我をしたレジスタンスの隊員に肩を貸している状態だ。
「私達だけだったら、戦力は互角だった。勝利の決め手は、あんたら機械と手を取り合えたことだ。感謝する」
彼女の礼に、彼は「いえいえ」と短く返すだけだった。
過激派アンドロイドのうち数名は逃げたようだったが、遠くないうちに見つけ出され、粛清されるだろう。
「それでは、引き続き頑張ってください」
彼はそう言って、帰路につこうとする。
しかし、一歩目、二歩目と踏み出したところで、足元に小さな花を見つけて立ち止まった。
それは機械ではない。珍しい形をした本物の花。赤紫色をした花弁が、立ち上る火のようにチラチラと天に向かっている。
彼は、花の傍らに、小さな“ガラクタ”が落ちていることに気がついた。
何気なく手を伸ばしてみる。
ガラクタに触れると、小さくギギギと金属がこすれる音がした。
この音を聞いたことがある。
指と指を重ね合わせたときの、約束の音。
忘れていたことを、今になって思い出した。
彼は、その場に膝から崩れ落ちた。
「そうかこれは……」
それは、彼が蓋をした感情達。
心を守るために捨てた、悍ましい出来事の記憶と共に忘却した痛み達。
もしかすると、この戦闘で自分も死んでいたかもしれなかったという“恐怖”と、子供の機械の死を悟った“絶望”で、彼は体を震わせた。
──かつてパスカルは、共に暮らす機械の子供達に様々な感情や知識を教えていた。
それが平和を愛し、戦いを望まぬ村の未来に役立つかと思ったからだ。
しかし、あるとき村で機械達の暴走事件が起きた。
無惨に破壊される村を見た子供達は、“恐怖”や“絶望”……パスカルによって教えられた感情に耐えられずに、自ら命を絶ってしまった。
そしてパスカルは子供達を失った苦痛に耐えられなかった。だから自らの記憶を削除することを望んだのだ。
パスカルに──ガラクタ袋の機械生命体に、削除されたこれらの記憶が戻ることはない。
しかし、もし取り戻してしまったなら、そのとき自分は生きてはいられないと、ガラクタ袋の彼は確信した。
彼は村の跡地に戻ると、子供の機械の残骸で小さな花を作りはじめた。戦場で見つけた、火に似た花を模して。
そしてようやく、己の行動の意味に気がついた。
これまで花を作っていたのは、死んだ仲間への手向け。忘却した過去の自分が、村を守れなかったことの贖罪を果たそうとしているのだと。
「これを最後の花にしましょう」
彼は、再び“パスカル”を名乗ることを決意する。平和を愛した、かつての自分の意思を継ぐために。
*
“パスカル”の尽力によって、アンドロイドを擁する人類軍と機械生命体和平派は停戦協定を結んだ。
それから15年。
“パスカル”は、賑わう村にいた。
村には、読書に耽る者や、はしゃぎ回る子供達、何かの遊戯に没頭する者など様々な住人がいる。そして、その中には機械生命体だけではなくアンドロイドの姿もあった。共に手を取り合い暮らしているのだ。
パスカル村は、再建される前以上の安寧を取り戻していた。焼けた大樹も、月日と共に緑を取り戻しはじめている。
その光景を感慨深げに眺める“パスカル”のもとに、機械の子供達がやってくる。
子供達の内の一人の腕の中に、可愛らしい表紙の絵本が抱かれていた。
「パスカルオジサン! コノ絵本ニ書イテアル、“コワイ”ッテナニ?」
その絵本は、過去の人類が作ったものの複製品。怖い怖い、オバケの話だ。
「皆さんには不要な感情ですよ」
そう言って、“パスカル”は笑う。
彼の優しくもはっきりとした拒絶を、子供達が追及することはなかった。
「コワイハ、イラナイー! コワイハ、イラナイー!」
子供達は、新たな遊びを探しに走り去る。
それを見届けた彼は、村を出てある場所に向かった。以前、過激派のアンドロイドとレジスタンスが戦ったあの峡谷だ。
そこは今、廃棄場になっている。
過激派アンドロイドの残党、暴走した機械達、そしてあらゆる反乱分子の残骸……
それら不要なものの掃き溜めとなった谷底に、“パスカル”は、子供達が持っていた絵本を投げ棄てた。
ぼさっと、乾いた音が鳴る。
切断面の焦げたアンドロイドの腕。瞳の光を失った機械の頭部──口からは黒くて粘性の高い液体が流れ出ている。不自然な方向に曲がった脚。錆びてボロボロになった歯車。その上で、絵本の表紙に描かれた可愛いオバケが笑っていた。
彼はそれを見届けると、すぐに村へと帰っていく。
村には、彼が作ったガラクタの花が変わらず咲いている。
花を作るのを最後にしようと決意したときから、まだ花の数は増えていない。
「あの子達が“恐怖”を知らず、ずっと幸せに暮らせますように……」
“パスカル”は、小さな花に今日も祈る。
「そのためなら私は……」
心を守るために捨てた、悍ましい出来事の記憶と共に忘却した痛み達。
もしかすると、この戦闘で自分も死んでいたかもしれなかったという“恐怖”と、子供の機械の死を悟った“絶望”で、彼は体を震わせた。
──かつてパスカルは、共に暮らす機械の子供達に様々な感情や知識を教えていた。
それが平和を愛し、戦いを望まぬ村の未来に役立つかと思ったからだ。
しかし、あるとき村で機械達の暴走事件が起きた。
無惨に破壊される村を見た子供達は、“恐怖”や“絶望”……パスカルによって教えられた感情に耐えられずに、自ら命を絶ってしまった。
そしてパスカルは子供達を失った苦痛に耐えられなかった。だから自らの記憶を削除することを望んだのだ。
パスカルに──ガラクタ袋の機械生命体に、削除されたこれらの記憶が戻ることはない。
しかし、もし取り戻してしまったなら、そのとき自分は生きてはいられないと、ガラクタ袋の彼は確信した。
彼は村の跡地に戻ると、子供の機械の残骸で小さな花を作りはじめた。戦場で見つけた、火に似た花を模して。
そしてようやく、己の行動の意味に気がついた。
これまで花を作っていたのは、死んだ仲間への手向け。忘却した過去の自分が、村を守れなかったことの贖罪を果たそうとしているのだと。
「これを最後の花にしましょう」
彼は、再び“パスカル”を名乗ることを決意する。平和を愛した、かつての自分の意思を継ぐために。
*
“パスカル”の尽力によって、アンドロイドを擁する人類軍と機械生命体和平派は停戦協定を結んだ。
それから15年。
“パスカル”は、賑わう村にいた。
村には、読書に耽る者や、はしゃぎ回る子供達、何かの遊戯に没頭する者など様々な住人がいる。そして、その中には機械生命体だけではなくアンドロイドの姿もあった。共に手を取り合い暮らしているのだ。
パスカル村は、再建される前以上の安寧を取り戻していた。焼けた大樹も、月日と共に緑を取り戻しはじめている。
その光景を感慨深げに眺める“パスカル”のもとに、機械の子供達がやってくる。
子供達の内の一人の腕の中に、可愛らしい表紙の絵本が抱かれていた。
「パスカルオジサン! コノ絵本ニ書イテアル、“コワイ”ッテナニ?」
その絵本は、過去の人類が作ったものの複製品。怖い怖い、オバケの話だ。
「皆さんには不要な感情ですよ」
そう言って、“パスカル”は笑う。
彼の優しくもはっきりとした拒絶を、子供達が追及することはなかった。
「コワイハ、イラナイー! コワイハ、イラナイー!」
子供達は、新たな遊びを探しに走り去る。
それを見届けた彼は、村を出てある場所に向かった。以前、過激派のアンドロイドとレジスタンスが戦ったあの峡谷だ。
そこは今、廃棄場になっている。
過激派アンドロイドの残党、暴走した機械達、そしてあらゆる反乱分子の残骸……
それら不要なものの掃き溜めとなった谷底に、“パスカル”は、子供達が持っていた絵本を投げ棄てた。
ぼさっと、乾いた音が鳴る。
切断面の焦げたアンドロイドの腕。瞳の光を失った機械の頭部──口からは黒くて粘性の高い液体が流れ出ている。不自然な方向に曲がった脚。錆びてボロボロになった歯車。その上で、絵本の表紙に描かれた可愛いオバケが笑っていた。
彼はそれを見届けると、すぐに村へと帰っていく。
村には、彼が作ったガラクタの花が変わらず咲いている。
花を作るのを最後にしようと決意したときから、まだ花の数は増えていない。
「あの子達が“恐怖”を知らず、ずっと幸せに暮らせますように……」
“パスカル”は、小さな花に今日も祈る。
「そのためなら私は……」