3.
-花ノ庭-
青く澄み渡る空。
さらさらと鳴る噴水の音。小鳥がさえずり、心地よいそよ風は花々の香りを運んでくる。しらじらしいまでにのどかな庭園。
意識を取り戻したとき、僕はアンテナに触れていた……そうだ、少年に言われるがまま、アンテナに触れたのだ。
すぐそばに、白い髪の少年が静かに佇んでいる。
僕はこの庭園で、記憶を取り戻すために彼と一緒に旅をしているのだった。

「おかえり」
少年は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「何か、思い出したかな?」

僕はゆっくりと立ち上がる。
そして、頭の奥を探るように目を閉じた。
花壇の草花に埋もれたアンテナに触れたときに、頭の中に流れ込んできた記憶。
荒廃した見知らぬ世界の物語だった。
小さなロボット達を守ろうとする、古いロボット。彼が選んだ歪な手段は、愛だったのかもしれない。
僕は、自分もまたそんな感情を持ち合わせていたことを思い出していた。
そう、僕が心から愛し、全身全霊をかけて守りたいもの……それは……

「……妹」

思いがけず、自分の口から出てきたその言葉に、僕自身が驚いた。
いもうと。

「僕には、守りたい妹……がいたはずだ」

小さな少女の姿が、頭の中でぼんやりとした像を結んだ。
おにいちゃん、おにいちゃんと自分を慕って、いつだってあとからついてきていたような気がする。
ぼんやりとした記憶の断片を、頭の中で何度も動かしてみる。
そう、僕には妹がいた。僕にとって、自分よりも大切な存在。幼くて……病弱な……
その名前は、ヨナ。
僕は自分が何者なのか、まだ分からない。
しかし、ただひとつ確信したことがある。
僕は、ヨナのもとへ帰らなければ。
この世界で目覚めてから今まで感じたことのなかった熱が、胸の奥に灯ったのを感じた。

「うん」
少年は僕の目をじっと伺うように覗き込む。
「順調。じゃあ、もっと記憶を取り戻していこうか」

僕は思い出さなければならない。
ヨナの居場所を。ヨナは無事か? どうして僕だけがここに?
中途半端に思い出した記憶は、むやみに僕を焦らせた。
きょろきょろとあちこちに目線を走らせ、僕の足は別のアンテナを探してふらふらと足が動き出す。

「えーと……ちょっと待って!」

僕の背後から、少年の決まりの悪そうな声が響く。

「なに?」

僕が少し反抗的な気持ちで振り返ると、少年は僕から視線を反らし、遠くの噴水を興味深く眺めるふりをする。

「そんなに焦らなくて大丈夫。それより……」

いったい、どうしたというんだ。僕は、早くアンテナを探さないといけないというのに。

「ごめんね。君にまず服を着せてあげるべきだったかもしれない、と思って」
「……え?」

少年の言葉に、僕は自分の身体を見下ろした。
さっきまで体にまとわりついていた、白い羽衣が消えて、全裸になっていた。

「うわっ」

思わず体を抱きかかえ、縮こまる。
いつあの服は消えたんだろう。
いや、最初から服なんかなかった気がする。そうだ。僕は暗闇で目を覚まして以来、ずっと服を着ていなかったじゃないか。
ここにきて、急に恥ずかしい、という感情がこみ上げてくる。
まるで、記憶とともに感情を取り戻したようだった。
少年のほうを見ると、彼は相変わらず、白くて形の分からない服を着ていた。

「用意してあげるね。さぁ、どれが気に入るかな?」

パチン!
少年はくすくすと笑いながら、指を鳴らした。

次の瞬間、僕は奇妙な服を着せられていた。
大げさな襟のついた、原色そのままの赤と黄色の服。ズボンがダボダボとしてて、歩きにくい。
ご丁寧に、真っ赤なウィッグまでかぶって、鼻に赤いボールまでくっついている。

「ピエロの格好なんて、どう?」
「これはちょっと……」

服は今すぐにでも必要だが、さすがに少しはわがままを言っても許されるのではないだろうか。

「そっか。じゃあ、これは?」

パチン!

今度は、全身を覆う、白くてごわごわした服。
顔の回りは、ドーム状のカバーで覆われている。
それに何より、とても重い。重すぎて、僕はたまらずガクッと両手と両膝を地面についてしまった。

「宇宙に行くための服なんだよ。すっごく高価で、貴重なんだ」
「宇宙……? そこには行かないと思う……多分」

パチン!

「じゃあ、これとか? 戦闘用につくられたアンドロイド達が着る服なんだ」

次に少年が指を鳴らすと、目の前がまた真っ暗になった。

「うわあ!」
「目を覆っているのは、黒いゴーグルだよ。これをつけるのには、ちゃんと理由があって……」
「前が見えないからダメ!」

ついつい、僕は叫んでしまう。暗闇は、もうこりごりだ。

少年は、僕の反応を楽しんでいるようだった。

「……もう、ふざけるのはいいから」

僕が半ば呆れながら声を絞り出すと、少年は少し考えるそぶりを見せた。

「じゃあ、君らしい服にしよう」

そう言って、少年は指を鳴らす。

パチン!

薄手のグレーの上衣に、上半身から腰の下までを覆う黒のあて布。ゆったりとした短めのズボン。ロングブーツ。仕上げに、肘の上まで覆うロンググローブ。

「うん……いいかも」

この服には、自分の輪郭がはっきりと定まるような感覚があった。ようやく自分という存在が確立されたような気持ちにすらなるほどの。

「うん、似合ってるよ」

少年は満足げにうなずいた。

「……ありがとう」

僕は、ひとつ深呼吸をして、礼を言う。
だいぶ遊ばれた気もするけれど、ここは忘れておくことにしよう。

「さて、準備が整ったところで」
少年は、芝居がかったように両手を広げてみせる。
「次の記憶、いってみようか」

改めて庭園をながめる。
広大な庭園。一見すると分からないが、ひとたびその存在に気がつくと、あちこちに異質な存在を放つアンテナが隠されていることが分かる。植物のツルと一体となって。あるいは花壇の土の中に。背の高い植栽に隠されるように。そして……木の根本に。
僕は、薄紫の花が垂れ下がる立派な木の下に埋もれているアンテナに目が留まった。
なんだか、そこから呼ばれているような気がする。

僕は、木の根元に埋まったアンテナに近づいていく。

指先がアンテナに触れた瞬間——
溢れ出した文字の塊が、また僕を包み込んだ。
意識と身体が離れていくような感覚。

僕はまた、文字の世界へと潜りこんでいく……