5.
-禍ノ風-
まばゆい光と共に、僕の意識は浮遊するように戻ってくる。僕は再び元の場所へと引き戻されていた。

薄紫色の花がカーテンのように垂れ下がる木の下。
ここはさっきまでと変わらない花の庭園──失った僕の記憶を取り戻すために、少年と共に旅をしている場所。

僕は、木の根元に埋まっているアンテナに触れた瞬間に流れ込んできた光景を思い返す。
離れ離れになってしまった親友との再会を求め、旅に出る少女達。
そんな彼女達が求めた世界のように、僕もヨナと共に生きていたかった。
それに、ヨナのほかにも──

「僕も、大切な仲間と生きていたいと思っていた……」

取り戻しつつある仲間の記憶。
顔と名前は思い出せない。
しかし仲間達との記憶は心のどこかに引っかかっており、それはとても愛おしいもののように感じる。
崖壁にへばりつくように家々が並ぶ村の、外れにある小屋。
立派なのに、不気味な印象を与える洋館。
そこで出会った彼女達と歩いた道。他愛のないおしゃべり。
同時に、もう二度と戻りたくない過去のような気もして、心がざわつきだすのも感じていた。
戦いと別れ。痛みと喪失が、心の奥底から這い上がってくるかのようだ。

大好きだ。でも怖い。
痛い。嫌だ。逃げたい。逃げたい。逃げたい。怖い。
自分の記憶に近づくにつれて、それを取り戻したいような、取り戻したくないような、矛盾した感情が立ちはだかり、僕を混乱させる。
ふいに強く打ち出した心臓を鎮めるかのように、僕は無意識に胸のあたりをおさえていた。

「そう。君は、背負い過ぎていた」
白い髪の少年が、僕の後ろに立っていた。

ザアアアッ……

強い風が、木々と花を揺らしていった。
風で揺れる葉の音が、遠く遠くへ通り抜けていく。

「僕は……」

口から出るままに、言葉を紡ぐ。だが、その先を言えなかった。何かを言えば、何かを思い出しそうで、それを思い出すことが怖い。
思い出したら、僕はどうなってしまうのだろうか。
このままでいては、だめなのだろうか。

ザアアアアアアッ……

強い風がまた吹き、僕と少年の間を通り抜けていった。
無性に、さびしさをかきたてる音。
散ってゆく花びら。
雲が太陽を隠したように、僕達が立つ場所に薄い影を落とした。

風で目にかかった髪をかきあげたとき、庭園の様子が変わっていることに気がついた。
光を受けて咲き誇っていた花々が、しおれて地を向いている。
木々の葉は枯れ落ち、あらゆる植物の茎には鋭いトゲが突き出ている。
頭上に垂れ下がっていた薄紫色の花は、からからに枯れて、僕の頭上で不気味な威圧感を放つ。
風は強まるばかりで、遠くから雷鳴が轟きはじめる。
汚らわしく枯れた花吹雪が、無遠慮に僕に降り注いでいた。

「どうして……」

僕は振り返って、少年と向かい合う。
僕とまったく同じ目線の彼。

「どうして君は、僕と同じ顔をしているの?」

僕は、自分の顔を思い出していた。
この世界で目覚めて、暗闇の中で少年と出会ったとき、つい鏡に映った自分だと勘違いしたのは、自分の姿を記憶の奥底で覚えていたからに違いない。
この白い髪の少年は、僕と全く同じ姿をしていたのだ。

「君は、いったい……?」

僕の問いに、少年は答えなかった。

「こっちへ」

少年は、僕の問いに答えることなく、背を向けて歩き出した。

生気を失った陰鬱な庭園の中を、少年は速足で進んでいく。
僕は置いていかれないように、その後ろを小走りで追いかける。
今までの景色とは違い、見るに堪えないみじめな場所を、僕らは無言で歩いた。

少年は、しおれた花で埋め尽くされた広い円形の花壇にためらうことなく足を踏み入れ、花を踏みつけながらずんずん進んでいく。
ひときわ大きいこの花壇に生えた花の名前を、僕は知っている。
月光草。
枯れているから、色は分からない。
大ぶりの月光草はすべて下を向き、まるでうなだれた赤ん坊の集団のように見えて、気味が悪い。
僕はなるべく花をふまないようについていこうとしたが、どうやってもふまないことは無理だったので、途中で諦めるしかなかった。

キュ、キュ……

踏みつけられた月光草が、悲鳴のような音を立てる。

少年は、円形の花壇の中央で立ち止まった。
そこには茶色に変色した月光草が幾重にも重なって、アンテナを隠そうとしている。
僕はこの月光草達に意思があるような気がして、鳥肌が立つのを感じた。

「このアンテナに触れたら、すべてが分かる」

少年は無表情だったが、その態度には抗いがたい力がこもっていた。
怒りだろうか。悲しみだろうか。そのどちらにも取れるような気がするし、どちらも違うようにも思える。
僕はふいに逃げ出したい気持ちに駆られた。
しかし、どこにも逃げ場はない。記憶を取り戻さない限り、僕という存在は失われるのだから。
それに何より、ヨナに会いに行かなければいけない。
明確な像を結ばない記憶だけが、僕を動かした。

僕は折り重なる月光草に向かって、片膝をつく。
花弁と茎をいくつもかきわけていき、慣れた金属の感触を探す。

指がアンテナに触れたのを感じた瞬間──
その中から溢れ出した光のように迸る文字の塊に、僕は包まれていく。

その先に何が待っているのか怖くて仕方ない。でも、もう後戻りはできないだろう。