あの2タイトルが同時に25周年!異色タイトルを手がけた旧エニックス&旧スクウェアの開発メンバーに当時の真相を聞いてみた

――当時のスクウェアで河津さんが手掛けられた『ワイルドカード』と、エニックスで渡辺さんがプロデュースされた『スーパーギャルデリックアワー』が2001年3月29日に発売されました。両作とも同じ日に25周年を迎えるということで、おふたりに登場していただきました。

渡辺 またシブいタイトルを取り上げますね(笑)。

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左が『スーパーギャルデリックアワー』、右が『ワイルドカード』のパッケージ。『スーパーギャルデリックアワー』はサイケでキュートなパーティゲーム。『ワイルドカード』は世界は全てがカードで表されたロールプレイングカードゲームだった。
© EXRAYS/POLYGONS/WAVEMASTER/ENIX 2001
© 2001 SQUARE

――どちらも尖ったタイトルと言いますか、いわゆる王道路線とは違った作品ですよね。まずはそれぞれの企画が立ち上がった経緯を教えてもらえますか?

河津 1999年にバンダイナムコエンターテインメント(当時はバンダイ)さんが携帯ゲーム機のワンダースワンを出されたんですよね。そこにスクウェアにも参入してほしい、という話があったのが『ワイルドカード』を開発するきっかけでした。

――当時はゲームボーイカラーやネオジオポケットカラーなどが発売されて携帯ゲーム機が活況でした。

河津 そうですね。翌年の2000年にはワンダースワンカラーも発売されることになり、参入することになったんです。

 ただ当初、会社的にはワンダースワン向けに2年で10本くらい出すというとんでもない計画になっていて(苦笑)、移植だけでなく新作も作らないと数が追い付かない状況だったんです。

 2000年3月にプレイステーション2が登場して、ゲームの開発にもかなりコストがかかるようになっていた時期で、スクウェア全社的に"PlayOnline"というネットワークサービスに注力していて、ほかの開発セクションのほとんどがオンラインタイトルを作っていたんです。当時は「ファイナルファンタジー」シリーズも『ファイナルファンタジーX』がオフライン作品としては最後で、それ以降は全部オンラインにして、スクウェアはオンラインのゲームだけを作っていくんだ、みたいな流れになっていましたね。

 自分を含め、そこからちょうど外れていた人たちを集めて進めたのが、ワンダースワン系のプロジェクトでした。携帯ゲーム機なら手軽に新作にも挑戦できましたし、『ワイルドカード』以外にも、『はたらくチョコボ』(河津氏はプロデューサー)や『ブルーウィングブリッツ』(河津氏はディレクター)などの新作も手掛けました。

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『はたらくチョコボ』チョコボとともに新天地を切り開く開拓シミュレーション
©SQUARE ENIX

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『ブルーウィングブリッツ』航空機で戦うシミュレーションRPG
©2001 SQUARE ENIX CO.,LTD. All Rights Reserved.
CHARACTER ILLUSTRATION/NOBUYUKI IKEDA
AIRPLANE ILLUSTRATION/YUKIHISA FUJITA

――時代や会社の事情もあってのワンダースワン向けの企画だったんですね。

河津 そうですね。携帯ゲーム機なので、手軽に遊べるものにしようとは考えていました。当時は据え置き機でゲームのボリュームも巨大化していくタイミングだったので、作るほうも遊ぶほうも手軽にやれるものを、というのは意識していましたね。

――『スーパーギャルデリックアワー』については、どういった経緯で企画が立ち上がったのでしょうか。

渡辺 若気のいたりと言うか(笑)。

――渡辺さんは初代プレイステーションでも『バスト ア ムーブ』(1998年)や『せがれいじり』(1999年)など、尖ったタイトルを作られていました。そういったご自身の独自路線を全面に出したタイトルを今度はプレイステーション2で、というのが本作だったのでしょうか。

渡辺 そうですね。ただ、プレイステーション2は開発の難度が急に上がって、思ったよりも好き放題はできなくなっていたんですよね。『せがれいじり』も『バスト ア ムーブ』も、言ってみればセンス一発というか、インディーズに近い規模感で作っていたんです。

 ですが、プレイステーション2になると開発チームの規模もそれなりに大きくなっていましたし、初代プレイステーションに比べると開発環境もあまり整っていませんでしたので、それまでのやりかたでは通用しないな、というのをひしひしと感じていました。

 スクウェアのような内部開発の規模が大きければ、共通のライブラリなども作っていたとは思うんですけど、エニックスの場合は外部の小規模な協力会社さんにお願いして開発してもらっていましたので、ハードの性能を持て余している部分もありました。当初はもっと小規模なタイトルとしてリリースするつもりだったのですが、なかなか開発も進まなくて。吐きそうになっていましたね(苦笑)。

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『バスト ア ムーブ』「カッコよく踊った方が勝ち」のリズムゲーム
©1998 メトロ/フレイムグラフィックス/エイベックス・ディーディー/SQUARE ENIX CO.,LTD. All Rights Reserved.

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『せがれいじり』「おバカに徹する」と言うコンセプトで作られたいわゆる「バカゲー」
© 秋元きつね/ブレインドックネメシス/エニックス 1999

 

河津 エニックスさんは「ドラゴンクエスト」シリーズで王道を押さえているからというのはあったと思うんですけど、王道とはまったく違った怪しいゲームや、『ワンダープロジェクトJ 機械の少年ピーノ』のような挑戦的なタイトルも出されていましたよね。『せがれいじり』や『スーパーギャルデリックアワー』なども、「『ドラゴンクエスト』のエニックスでよくあの企画が通るな」と思うと同時に、『ドラゴンクエスト』のエニックスから脱却する意志を感じながら、いろいろ苦労しているんだなあ、と思って見ていました(笑)。

渡辺 当時の福嶋社長(福嶋康博氏。旧エニックスの創設者にして現スクウェア・エニックス・ホールディングス名誉会長)は、「『ドラゴンクエスト』があるんだから王道のRPGは作らなくていい」と言っていたんですよね。『ドラゴンクエスト』はファミコンにRPGがないところにRPGを作ったから売れた、と。だから、ハードが変わっても、これまでになかったものを出してくれ、と言っていました。

――まったく別のジャンルの作品を要望されたんですね。

渡辺 でも、それまでになかったものなんて、そうそうないじゃないですか(笑)。それで考え抜いた末に、生まれた企画なんです。ですから、『スーパーギャルデリックアワー』は会社の方針に沿って作ったものと言えます。「これまでになかったものでしょう?」と。(笑)

――ちなみに、福嶋さんは『せがれいじり』や『スーパーギャルデリックアワー』に対して、どのような反応をされていたんですか?

渡辺 『せがれいじり』は、プロジェクト進行中は仮のタイトルで進めていたんですけど、『せがれいじり』に決めたときには呼び出されましたね。「これはどういう意味?」と(笑)。「いや、主人公の名前が"せがれ"なんですよ」、「本当にそれだけ?」みたいなやり取りをしていました。いま振り返ると攻めたタイトルでしたね(笑)。

 『スーパーギャルデリックアワー』のときはもう、渡辺ならしょうがないな、みたいな感じでした。社内の別の人からは「なんてものを作ってくれたんだ」とは言われましたが(笑)。

――『ワイルドカード』、『スーパーギャルデリックアワー』を開発していた当時を振り返って、とくに印象に残っていることはありますか?

渡辺 2000年前後で言うと、ちょうどインターネットが普及してきた時期ですよね。コンピューターでばかばかしいことをやるのがゲームだけの特権ではなくなってきて、ネットではもっとブッ飛んだことをしている人がいました。スピード感もコスト感も、ばかばかしさという土俵では勝てないな、というのを感じていた時期だったと思います。

 それ以前はCGを扱えるコンピューターもそんなに多くはなくて、自分たちを含め、一部の人だけがそのおもしろさを知っているっていう状況だったんです。次第にコンピューターが普及し始めると、おもしろさやスピード感でも追い越されてしまった。「じゃあ。つぎは何を作ろうか」というおもしろそうな何かを模索している時期だったと思います。その中でいちばんインパクトがあったのはインターネットの普及でした。

河津 あのころは、iモードが登場してきたタイミングでもありましたよね。自分もドコモさんに行って、いまで言うフィーチャーフォン、いわゆるガラケー向けにゲームをリリースできないか、みたいな話をしていた記憶があります。

 あのときに大手メーカーが課金体系をデザインできていれば、ゲーム業界にもまた違う流れが生まれたと思います。結果的に大手ゲームメーカーは乗り遅れてしまいましたよね。いま振り返ると、そういう大きな変化があるタイミングでは、もっと違ったことができたんじゃないかと思います。

――同じ年の同じ日に発売、ということで発売日はお互いのゲームを意識しましたか?

渡辺 そんなことは考えないですよ(笑)。ほかのゲームを見ている余裕はありませんでした。

河津 合併するまで渡辺さんが『せがれいじり』や『スーパーギャルデリックアワー』を手掛けていたとは知りませんでした。

――エニックスとスクウェアは2003年に合併して、現在のスクウェア・エニックスになるわけですが、当時、互いの会社をどう見ていましたか?

渡辺 スクウェアは開発環境が充実しているということと、給料が高いらしいよ、という噂話を聞いていました(笑)。エニックスはコスト管理が徹底されていて、開発費や宣伝費、人件費に余裕があるというわけではありませんでした。

 『せがれいじり』や『スーパーギャルデリックアワー』も宣伝費が限られていたので、お金がなくてもインパクトのあるプロモーションを、というのはいつも考えていて、それを考えるクセはつきました。

――社風の違いも感じましたか?

渡辺 はい。合併直前、スクウェアのクリエイターの皆さんと一堂に会するタイミングがあったんです。そこに参加されていた旧スクウェア側のクリエイターの方が、立派な服を着ていらっしゃるんですよね(笑)。違う世界に来たなと思いました。

――河津さんについてはどのようなイメージを持たれていましたか?

渡辺 もう、"河津神"ですよ。「この人が神か」みたいな(笑)。それこそ尖ったゲームを作られてきた方だったので、怖い人だったらどうしよう、みたいに思っていました。

――一方で、河津さんはエニックスについてはどういった印象をお持ちでしたか?

河津 私は先ほども言ったように、エニックスについては、『ドラゴンクエスト』だけのイメージから脱却されるためにいろいろ苦労されているな、という印象でしたね。

――そんな両社が2003年の4月に合併したわけですが、実際にいっしょになってみていかがでしたか?

河津 先ほど渡辺さんからエニックスはコスト管理に厳しいという話がありましたが、確かにそうでした。出張に行く際も移動費の無駄を許さない方針で、役員でもビジネスクラスではなくエコノミークラスでした(笑)。

――ゲーム作りにおいても変化は感じましたか?

河津 エニックスはプロデューサー主導の会社でしたので、皆さんプロデューサーなんですよね。合併した後も、旧エニックスの皆さんが次々と企画を出してくれたんです。

――それまでのスクウェアにはなかったようなアイデアも?

河津 そうですね。それまでのスクウェアは開発中心だったので、たとえば『ファイナルファンタジー』がひと段落すると、次は誰がメインプログラマーをやるから、デザイナーはこの人にしよう、といった人員の配置が先立つ考えだったんです。

 編成会議をする段階で何を作るかはほぼ決まっていて、市場がこうだからどうする、といったプロデュース的な視点はあまりありませんでした。そういう意味で、プロデューサー中心の視点でいろいろな企画が上がってくるのを見るのは新鮮でおもしろかったですね。

渡辺 合併後は開発費も潤沢になって、チャレンジできる幅も広くなったので、結果的にはよかったなと思います。

――合併した後、渡辺さんはまずどのような企画を?

渡辺 一発目は『ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリートSpecial』(2004年)でしたね。合併が発表された後、当時のネットを見ていたら、「『ドラゴンファンタジー』が出るぞ」みたいな話題で盛り上がっていて。個人的におもしろいと思ったのは『ロマンシングいじり』なんですけど(笑)。

一同 (笑)

渡辺 そういう盛り上がりもある中で、何かお祭りっぽいタイトルをお届けできればと考えたんです。

――『ロマンシングいじり』は見てみたかったですが(笑)、当然『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』がいっしょになったタイトルというのは期待されていましたし、求められるものを企画するというのはプロデューサー的な考えかたですよね。

渡辺 ただ、ご存じの通り『ファイナルファンタジー』は世界観や開発における中心人物が作品ごとに異なり、個別に監修が必要でしたのでなかなか大変でした。いま考えると恐ろしい企画を立ててしまったなと思いますが、あれこれ考えないのも大事なんですよね。思い切りで動きだすというか。冷静に監修コストとかを考えたら動けないですから。

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『ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリート Special』ボードゲームの「いただきストリート」シリーズに「DQ」「FF」両シリーズのキャラクターが登場。
© ARMOR PROJECT/SQUARE ENIX
FINAL FANTASY Chracters:© SQUARE ENIX
DRAGON QUEST Chracters:© ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SQUARE ENIX
キャラクターイラストレーション:天野シロ

――『ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー in いただきストリートSpecial』以降は、『ファンタジーアース ゼロ』をはじめ、渡辺さんはオンラインのタイトルを手掛けるようになられていますよね? これは何か理由があるのですか?

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『ファンタジーアース ゼロ』2006年にサービス開始し、約15年間運営を行ったMMORPG。
© 2005-2022 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved. powered by SOFT GEAR

 

渡辺 ビジネスモデルというか、遊びとしておもしろいなと思ったんです。やはり、インターネットがおもしろかったんですよね。コンピューターでバカバカしいものを作ることのつぎに、自分もそうですがみんなも夢中になれるものだと思ったんです。

 ただ、たしかにビジネスモデルとしても新鮮でしたね。『メイプルストーリー』(2003年)*株式会社ネクソンが運営するMMOPRG や、『スカッとゴルフ パンヤ』(2004年-2017年)*Ntreev Softが開発し、GMOゲームポットが運営するオンラインゴルフゲーム が話題になっており、「無料で遊べるゲームにお金を払うってどういうことだ?」と興味がわきました。実際に『ファンタジーアース ゼロ』でもアイテム課金を取り入れたのですが、ゲーム内に登場するアイテムが本当に売れるんだ!と自身も驚きました。

河津 あの当時、ゲームユーザーには追加課金っていう要素があまり馴染まなかったんですよね。ゲーマーからすると、追加で払わないといけないのは「ふざけるな」となるじゃないですか。でも『怪盗ロワイヤル』(2009年)*株式会社DeNAが開発・運営するソーシャルゲーム で時短アイテムの購入という方法が広まって、グリーさんがガチャを始めて......というふうにどんどん変わっていきましたよね。フィーチャーフォンなどを通じてゲームユーザーではない人がゲームを触るようになってから、そういう要素も受け入れられるようになっていく流れができました。

渡辺 2000年代前半から一気にそういうマーケットが出てきましたよね。

――25年経ったいま、改めてばかばかしいゲームを作ってみたい、回帰したい、という気持ちはありますか?

渡辺 そこに関しては、インターネットにはそういうものが溢れていますし、もう自分がやる必要はないかなと思いますね。

――河津さんはいかがでしょうか。また小規模なゲーム開発をしてみたいとは思いますか?

河津 僕自身の定義からすると、いまゲームとして配信されている多くのコンテンツは、いわゆる「ゲーム」ではないものも多いですよね。ゲーム性は限定的で、ただボタンを押して先に進むだけのものや、ギャンブル要素が中心であったり、そういうのも全部含めて「ゲーム」としてくくられていると思います。そういう意味で言うと、ゲームらしいゲームが好きな人に向けた市場というのは本当に小さいので、そこに向けて小規模で開発を、というのも難しいなと思います。

――河津さんの考えるゲームの定義とはどのようなものでしょうか。

河津 ゲームは楽しく遊ぼうとする人が遊ばないとおもしろくならないじゃないですか。たとえばマンガの場合、読み手の解釈によっておもしろさが変わるとも言いますけど、基本的には作者がおもしろいものを作っているからおもしろいんですよね。

 ですがゲームは、遊ぶ人がつまらない遊びかたをしたら、どんなゲームでも絶対につまらなくなっちゃうんですよ。そういう意味で、ゲームがおもしろいのは遊んでいるあなたがおもしろいからなんです、っていうことが言えると思うんですよ。

――プレイヤーの向き合いかたもおもしろさに影響するもののひとつだと。

河津 ですので、プレイヤーが「楽しむぞ」という気持ちで向き合ったとき、ちゃんと応えられる中身を持っていて、体験としてのおもしろさを提供できるのが「ゲーム」だと思います。ボタンを押しているだけで終わってしまうものは、僕の中の「ゲーム」という定義からは外れます。

――なるほど。でも、そういうゲームの市場はどんどん小さくなっていると。

河津 はい。日本にいるとあまり感じないと思うんですけど、いま海外ではユーザーがゲームを作成、共有できるオンラインプラットフォームがすごく盛り上がっていますよね、10代の人がゲームを作ったり、遊んだりしているんですよね。

 自分では一切ものづくりをせず、お金も払わずに遊ぶこともできますし、クリエイターはそこに貼られている広告から収入が得られるという、不思議な経済が回っている新しいプラットフォームだと聞いています。それは我々が知っているゲーム市場ではないですし、今回のように25年前のゲームについて語るような機会は、25年後にはないのかもしれません。

渡辺 25年後にはもうまったく変質してしまっていて、振り返りようがなくなっている可能性のほうが大きいですよね。

河津 もちろん、私が定義するようなゲームは絶滅しないと思います。仮にひとりでゲームを作っていたとして、世界中で10万人くらいが自分のゲームを遊んでくれれば、おそらく十分食べていけるはずです。10万人とつながることも、いまの時代なら不可能ではないと思いますし。そういう作りかたでも利益がでるような仕組みも出来ると思います。

 そういう意味で、限られた人しか知らないゲームというのは増えていくのかもしれないですね。メディアとの付き合いかた、情報の拾いかたや発信方法は変わっていくでしょうけれど、「ゲームを作る人」と「プレイヤー」いうのは、不変なのかなと思います。

一方で、ちょっと前に流行ったカジュアルゲームがすっかり話題にも上らなくなったりして、一瞬流行ったものがどんどん消えていっていますよね。その流れも変わらないんじゃないかと思います。

――いまのお話にも通じる部分ですが、おふたりがゲーム作りにおいて大切にしているのはどのようなことでしょうか。

渡辺 プレイヤーとしては河津さんの定義するような「ゲーム」が好きなんですけど、クリエイターとして考えると、そこと真っ向から戦うのは得策ではないなと考えていました。ですから、いわゆる「ゲーム」を作っていたころは、なるべく意表を突くようなものを、と考えていました。

――河津さんがゲーム作りにおいて大事にしているポイントは何でしょう?

河津 ゲームを作る機会自体が減ってきていますからね。そもそも新しいものを出していくことが大変で、いまは作れる機会があれば何でもします、みたいな(笑)。その中でも、自分が「ゲーム」と定義しているゲームを作ろうとすると思います。

――おふたりともいまは後進を育てるような立場にあるかと思うのですが、これまでのキャリアで壁にぶつかったときにどう乗り越えてきたか、というアドバイスをするとしたら、どのようなことを伝えますか?

河津 ずっとある壁はなくて、その時点でのそのときの話でしかないんですよね。ぶつかっているあいだはつらいと思うんですけど、しばらくするとそんなことは話題にさえならなくなっているんです。

 何年も同じ壁にぶつかり続ける人っていうのはあまりいないので、いま壁だと思っているものも、しょせんその程度のことだよ、というのは言えるかもしれないですね。時間が経てば状況も変わりますし、同じ壁にぶつかっている場合じゃなくなりますから。

渡辺 前向きにやっていれば、そのうち何とかなる、という側面はありますよね。

河津 あとは、壁を無理に越えなくていいんですよね。避けてもいいんです。その程度のものなんですよ。

渡辺 『スーパーギャルデリックアワー』なんか、最たるものですよ。当時は「やっちまったよ」って思っていましたから(笑)。でも、数年前にVTuberの月ノ美兎さんが配信でプレイしてくださって、めっちゃ笑いながら、楽しく実況してくれたんですよね。発売から20年近く経っていますが、それで少し救われた気がするというか。
時間が解決してくれることもあると思います。やり続けていればきっと何とかなるので、壁にぶつかったりしても、避けたりしながら進んでいけば大丈夫じゃないかな、と思います。

 

――今回、両タイトルともインパクトの強かったゲームだけに熱量の高いファンの方々がいらっしゃいますが、そういった方々に向けた言葉などもいただければと思います。

渡辺 本当に、ありがたいとしか言いようがないですね。ありがとうございます。先ほどの配信の話もそうですけど、そういうのも含めて、感謝しかないです。

河津 同じく、プレイしてくださった方や移植してほしいと言ってくださる方には感謝の思いです。ワンダースワンの復刻プロジェクトみたいなものがあれば、とは思うんですけどね。プログラムはC言語なので、その気になれば移植自体は可能なので機会があればやりたいね、という話はしています。

――ゲーム自体も多様化し、なかなか存在感を放つのが難しい昨今ですが、尖った内容ゆえにいまだ熱心なファンも存在する『ワイルドカード』と『スーパーギャルデリックアワー』。25周年という節目にお話をうかがいましたが、最後にひと言ずついただけますか?

河津 みんなが知っている作品、というものを作るのはなかなか難しい世の中なので、いまは自分が作った作品ということを喜んでくれるに人にどう届けていけるか、それが大事だと思っています。今後はその情報をどうお届けするかも考えて発信していきますので、その際はよろしくお願いします。

渡辺 埋もれること自体を避けるのは相当難しいですからね。河津さんがおっしゃったように、自分の作品を好きでいてくれる世界中の何万人かの人のために作る、というのもすごく大事なことだと思います。もう一方で、我々のゲーム作りの強みやノウハウが輝くゲーム以外の場所を探してみることも大事なんじゃないかと思います。

――ありがとうございました。

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普段あまり一緒にお仕事される機会のないお二人ですが、25年前を振り返ると自然とお話が盛り上がりました

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