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24.07.17
結合男子 -Fragments from Dusk-:断章-七- 浮石三宙の空言(6)
著者:麻日珱
前回「断章-七- 浮石三宙の空言(5)」はこちら
「三宙さん」
帰って早々ひやりとした声で母が呼ぶ。またか、と内心うんざりしながら三宙は顔を上げた。またあの目だ。三宙を言いなりにさせたいときにするその目が、責めるように三宙を見据える。
「今日、源の息子を連れて侵食跡地へ向かったそうですね」
学校まで迎えに来た運転手に頼んで連れて行ってもらったのだから、当然バレるだろうと思っていた。無言で返す三宙に母の目元がピクリと痙攣するように震える。
「あの子とは距離を置くよう言ったはずです」
「分かっています」
「ではなぜ」
「──あいつが志献官になるなんて馬鹿なこと言うから、現実を思い知らせようとしただけです」
思い知らせるどころか、余計に志献官になる決意を固めさせてしまったのは誤算だったが。
母の問いを遮って低く告げれば、母の目から険が消えた。満足したように、そうですか、と頷く。
「本当に、あの家はどうしようもないわね。長男を失ったのに次男も、だなんて。家を潰そうとしているとしか考えられません。お父様とも話をしていたのですよ。そろそろ、源家とは手を切るべきかと」
「......朔が死ぬとは限らないでしょう」
「死にますよ。志献官とはそういうものです。下賎の者のために自らの命を擲(なげう)つなどという愚かな行為を進んでするのが志献官です。英雄を志す者は、容易く死にます。三宙さんも来年からは中等部です。あんな子のことなど、死んだと思って忘れなさい」
「......」
三宙は小さく頷いて自室へ向かった。母には何を言っても無駄だ。他者に価値はないと思っている。浮石家が絶対で、浮石家の嫁だということを誇りにし、息子を浮石家の跡継ぎにすることを至上とする。それ以外を認めない。そんな人に、何を言ったとしても響かない。
父はまだ話が通じるが、それでも浮石家が絶対だという点では母と変わりはない。いずれ三宙が家を継ぐと考えているから鷹揚なだけであって、それが覆ったときにどうなるかは予想がつかなかった。
諦念が胸を満たす。三宙はもう彼らと話をする気にもならなかった。三宙の言葉を否定してこない分、壁を相手に喋っている方がマシだった。
話したところでどうにもならないなら、自分で切り開くしかない。
三宙は寒さに耐えるようにじっと機会を待っていた。
二月の半ば頃、防衛本部は鎌倉防衛戦で大きく戦力を損ない、非難と不安の声が集まった。両親も防衛本部を非難したが、三宙はもう志献官に興味などないという風に振る舞った。
その反面、三宙は焦っていた。行動を起こすなら今しかないのに、監視が厳しくて身動きが取れない。
「──少しひとりで見て回りたいんだけど」
学校帰り、燈京駅の前に連れてきてもらった三宙が頼み込めば、運転手は能面のような顔で首を振った。
「できかねます。奥様のご命令ですので」
少々体格のいい五十歳前後の運転手は母の忠実な僕(しもべ)だ。言うことを聞いてくれるとは思っていなかったから、三宙は小さく溜め息をつくに留める。
「......ついてきてもいいけど、離れててくれない?」
ひとりになれたらその隙を突いて防衛本部へ向かうのに──そう思ってはみるものの、現実的には厳しい。防衛本部へ向かったと分かれば、すぐさま邪魔が入るだろう。距離を取ってもらうのが精一杯の抵抗だ。
用事があると言って連れてきてもらったが、実際は何のあてもなく歩くだけだ。運転手が三宙の無計画を知れば、帰るように促してくるだろう。
三宙はそっと胸元に手をやった。いつその時が来てもいいようにと持っている切り札が三宙のお守り代わりだ。
「はぁ......」
どうしたらいいんだろうと、うなだれながら歩いていると、ぽん、と肩を叩かれた。
「どーした? 脱走少年。監獄に連れ戻された囚人みたいな顔してんじゃん」
「あ......」
三宙にイヤーカフをくれた露天商だ。前は赤い髪をしていたはずだが、今日は金色だ。派手な柄物の着物をざっくりと身に纏い、首には太い襟巻きを巻いている。
「何をしている」
チンピラに絡まれているとでも思ったのだろう。運転手が飛んでくる。露天商はそれに目をパチパチと瞬かせた。
「これ、キミのパパ?」
「は? 違います」
「えー? 不審者ぁ? 警察呼ぶ?」
「そしたら捕まるのそっちの方ですよ」
「マジ?」
「三宙様。そちらは......」
「知り合いだよ。問題ない」
運転手はきつい眼差しで露天商を睨むと、少し離れたところで待機する。
「ひゅーぅ。さすがお坊ちゃん学校の生徒さん。おひさ~」
あれから何度か煉瓦街に露天商を探しに行ったのだが見つからなかったのだ。燈京駅の付近にいたのかと安堵する。
「お久しぶり......っす」
こういうノリの人間にはどう対応するのが正解なのか分からず、変に詰まる。恥ずかしさに顔を伏せたが、露天商は屈託なく笑った。
「ぶりっすぶりっす! ほんとにどした? 元気ないな」
「なんでも......」
「なくないねぇ。ちょっと来なさい。お話、聞いたげるから」
強引に引っ張る露天商に三宙は慌てて振り返った。運転手がぐわっと目を見開いている。このままでは、露天商が誘拐犯にされてしまう。
「っ、防衛本部に行きたくて」
「行けばー?」
「バレたくないし」
「あ~あ! さっきの? しつこうそうなオヤジだったもんねぇ。今も滅茶苦茶睨んできてるし。あんな目される筋合いないんですけどー? 癪だから、キミの手伝いしてあげるよ」
「へ?」
ぽかんとしてる間に、近くの洋服店へと連れ込まれる。どうやら、古着屋のようだ。三宙が普段着ないような服ばかり置いてある。
「服装と髪色替えれば秒で別人~」
露天商はあからさまに自分の趣味の服をかき集めて三宙に押しつけた。
「ほら、着替えて着替えて。てんちょーう、カツラ借りるよー」
どうやら、露天商はここの常連らしい。ぱっと見では店のどこにカツラがあるか分からないのに、露天商はまるで我が家のように物色し始める。
三宙は訳が分からないまま更衣室に押し込まれ、未だ呆然とした心地のまま着替えた。押しつけられた服は十二歳の三宙には大分大きく、生地もゴワゴワしている。着心地がよくない上に、正直趣味じゃない。
「ほれ。キミ髪クルクルしてるから、ストレートね」
更衣室から出た瞬間、バサリとカツラをかぶせられる。長い茶髪だ。
「ちょ、これ、女の人用じゃ......」
「頭のちっさいひと用ー」
わっははと笑いながらカツラを整えたあと、仕上げと言わんばかりに露天商は三宙に遮光眼鏡(サングラス)をかけさせた。
「よぉし。これで誰がどう見ても変な人だ」
「おい!」
思わず声を大きくして突っ込めば、露天商は歯を見せて笑った。
「ほら。脱いだ服はこっちの袋に入れていきな。忘れモンはないね? さっきのオヤジには、しばらくしたらキミは裏口から逃げたって言っておくよ。いかにも嘘っぽく。そしたら馬鹿みたいにこの店調べてから探しに行くでしょ」
露天商がウィンクする。三宙は眉を下げた。
「......迷惑じゃないですか?」
「えー? 迷惑かけて生きてきたんだから、たまには人様の迷惑もらってトントンっしょ。ほーら、行ってきな」
放り出されるように店から出る。三宙はすぐにバレるのではないかと思ったが、運転手はどこにいるのか近づいても来なかった。
(......行けるかも)
三宙はぎゅっと制服の入った袋を両手で抱え、道に停まっている人力車に駆け寄った。
「防衛本部まで!」
「あいよー」
三宙を乗せた人力車が走り出す。三宙は流れる風景を目にしながら、期待と不安で胸を膨らませていた。
防衛本部から出たら家まで送ってほしい。代金はそのとき払うから──制服を預けて車夫とそう約束した三宙は、念願の防衛本部の前に立っていた。その手には白い紙が握られている。
緊張しながら受付にたどり着いた三宙は、手に持った紙を差し出して言った。
「適性検査を受けに来ました」
小学校の因子検査の時、記念にもらった形代だ。受付の職員は目を丸くしたが、すぐに待合室へと通してくれた。椅子がいくつか並べられているだけの、あまり広くない部屋だ。検査を受けに来る人は、そう多くないのだろう。
三宙は形代を握り締めて誰かが来るのをひたすら待っていた。
「いやはや、申し訳ない。少々人手が足りていなくてね。お待たせしてしまったかな」
部屋に入ってきたのは、恰幅のいい初老の男だった。黒い軍服らしき服を着ているが、三宙が知っている志献官の制服ではなかった。志献官というよりも、むしろ、親に連れられて行った社交会などで見た官僚を思わせる雰囲気がある。
「っ!」
一瞬、まさか、既に両親に報せが行ったのだろうかと身構えたが、まだ変装は解いていない。バレていないはずだと自分を落ち着かせる。
男は強面の顔に笑みを浮かべて、自分も近くの椅子に腰掛けた。
「司令の笹鬼です。適性検査を受けに来たと伺いました」
「司令......あの、オレ志献官になりたくて!」
笹鬼は深く頷くと、膝の上で軽く両手を組んだ。
「見たところ、まだ随分とお若い。親御さんとは話し合ったのかな?」
「......いえ」
三宙は首を振る。やはり三宙の歳では勝手に志献官になるなど許されないことだろうか。
笹鬼は探るように目を細めた。
「──浮石三宙君だね?」
「なんで......」
思わず立ち上がった三宙を手で制して、笹鬼は頷く。
「小学校の因子検査で形代を生徒に渡したという報告があったのは、浮石三宙君の一件だけです。そのため、私が来ました」
三宙はずるりとカツラを脱いで、サングラスを外した。
「......オレは志献官になれないって言うんですか」
その説得を責任者にさせて三宙の意志を挫こうとしているのか。警戒心を露わにする三宙に、笹鬼は首を振った。
「我々防衛本部は最大限、本人の意見を尊重したいと思っています。適性検査次第ではあるがね」
「じゃあ......」
「今、準備をしているところです。以前少々問題があってね。不備がないか確認できたら案内しましょう」
適性検査の結果、三宙には確かにリチウムの因子があった。笹鬼の説明では、混の志献官のほとんどが何らかの元素の因子を持つが特定が困難な状態であるものらしい。純の志献官になれる者は、はっきりと何の因子を持つか特定される必要があるそうだ。
その点で言えば、三宙は現時点でも十分に純の志献官になる素質があるという。もしも三宙にその覚悟があるのならば、先に検査をしている朔と共に純の志献官候補生として混四位から始めることも可能だと説明を受けた。
しかも、三宙が純の志献官になれば、リチウムの志献官は初ということで、これまでにない新しい風を防衛本部に吹き込むことが期待できる、と笹鬼は言った。
「しかし......やはり君の歳で親御さんに言わないというのは......」
ためらいを見せる笹鬼に三宙は首を振った。
「もしもバレたら二度と家から出してもらえなくなります」
三宙はその可能性の高さに身震いをした。笹鬼は同情するように目を細める。
「話し合うことは無理かね?」
「無駄です。あの人たちが大事なのは浮石の跡継ぎで、オレじゃない。オレの言葉なんか何にも聞いてくれないんです」
「防衛本部の司令としては君を歓迎したいと思う。だが、私も人の親として反対するご両親の気持ちも分かるのだよ。今でなくとも、もっと肉体的精神的に成熟してからでも──」
「もしそう思うなら、司令はオレに適性検査なんか受けさせるべきじゃなかった」
半ば睨みつけるように反論すれば、笹鬼は目を見開く。浮石家が義務を免除されていることは笹鬼も知っていたはずだ。それなのに検査の許可を出し、結果三宙に高い適性があると分かった。目の前に美味そうな餌をちらつかせて、それに食いつく直前で取り上げるのは卑怯だ。
三宙は勢いよく頭を下げた。
「お願いします。助けてください。オレを防衛本部に入れてください!」
頭上で笹鬼が何かを言おうとする気配があったが、それは溜め息に変わった。
「分かった。最大限助力しよう。だから、頭を上げなさい」
「っ、ありがとうございます!」
「ただひとつ約束をしてくれるかね? どうか自分を大切にすると」
切実な言葉に三宙はしっかりと頷いた。
三月、卒業式を終えた日の夜に三宙は屋敷を抜け出した。
持ち物は何もない。全て防衛本部で揃えるからだ。結局、露天商に返す機会を逸した趣味に合わない服を身に纏い、耳にはイヤーカフを付け、襟元にサングラスを引っかける。
勉強机の上には手紙を置いてきた。朝になって気付いたときには、三宙はもう防衛本部の一員だ。
横浜で閉じ込められた日が嘘のように、あっさりとした脱出劇だった。振り返れば、屋敷は暗闇にどっしりと影を構えている。富裕層が屋敷を構える地域でもいっそう威容だ。
誰もがうらやむだろう。こちらに移り住んだときには誇らしくさえあった我が家は、結局三宙を閉じ込めるための牢獄に変わってしまった。
家のために生きる囚人にはならない。
「オレはオレの人生を生きます」
深々と一礼をして背を向ける。罪悪感がわずかに後ろ髪を引いたが、それらを振り切って走り出す。
月が照らす夜道を駆ける身体が軽い。
その道の先に車が一台停まっている。その側に笹鬼の姿を見つけ、三宙は大きく手を振った。
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