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24.08.28
結合男子 -Fragments from Dusk-:断章-九- 塩水流一那の追儺(4)
著者:麻日珱
前回「断章-九- 塩水流一那の追儺(3)」はこちら
清々しい新緑の風が通り抜ける。枯れた木々の合間に寝転んでいた少年はふらりと立ち上がった。
ぐらぐらと頭を揺らしながら歩いた。身体は傷だらけで、泥だらけ。一歩は小さく、木の根につまずいては転んで倒れた。それでも立ち上がり、また進む。
帰らなければ、と思った。どうしてそう思ったかは、分からない。
日がとっぷりと暮れた頃、少年は一軒の小さな家にたどり着いた。転がり込むように中に入り、部屋の真ん中にぽつんと座る。
ぼんやりと闇に埋もれていた。少年の心は壊れて、記憶は漂白されて、何も残っていない。まどろみに身を任せて目をつむり、夢も見ず朝を迎えた。
目を覚ますと呆けたように虚空を眺めて過ごしては、夜の暗闇に目を閉じる。そうして昼と夜をいくつか数えたあとで、少年は自分が何者かも、何をしたのかも分からないまま、家の外へ出た。
惨状は変わらずそこにあった。誰も彼もが死に絶えた里には異臭が立ちこめていた。少年はその日から、肉と骨を埋めることだけを繰り返した。それが誰かは分からない。弔いの意思もなかった。ただ、そうしなければならないような漠然とした思いが少年を動かしていた。
纏っていたぼろきれのような着物には屍臭が染みこんだ。櫛も通さない髪はボサボサと絡まり合っている。土を掘り返し続けた爪は割れ、あるいは剥がれていた。
全ての肉と骨を埋めたあとはすることがなくなった。家の中でうずくまるか、里の中を幽鬼のように彷徨うかのどちらかだ。
不思議なことに、腹はひとつも減らなかった。幾夜眠らずとも平気だった。
そうして、どれだけの時が経っただろうか。時間の感覚はもはやない。ただ、雨の季節が終わったことだけは、最近の日差しの強さで分かった。
そんな、眩しい朝を迎えた日のことだ。
「お。いたいた」
開け放たれた戸口から、男が中を覗き込んだ。少年は咄嗟に身構える。獣のような唸り声を上げる少年に男はにやりと笑ってみせた。
「まあ、そんな警戒するなって。──っと、そうだ。自己紹介がまだだったな。俺は清硫十六夜。防衛本部の志献官だ」
「......」
近づいてくる十六夜と名乗った男を警戒して一歩下がれば、十六夜はそれ以上近づいてこなかった。代わりにしげしげと少年を眺める。
「俺のこと覚えてる?」
覚えてるも何も、知らない人間だ。少年は警戒心を強めて、伸び放題になったべたつく前髪の隙間から十六夜を睨んだ。
「覚えてねえか。ま、その方が都合がいい」
クッと男は喉の奥で笑う。
「塩水流一那。おまえは俺のものだ。いいな?」
「──イチ、ナ?」
声とも呼べないような、酷くかすれた音が出た。その名前には覚えがあるような気がした。
「そう。おまえの名前だよ。俺はお前さんを防衛本部に迎えるために来たんだ」
「ぼーえー、ほん、ぶ」
「そ。ここにいたって仕方ねぇだろ? 一緒に来いよ」
いつの間にか目の前まで来ていた男が手を差し伸べる。傷だらけの、大きな手だった。
「......それにしても、酷いにおいだな」
十六夜は顔をしかめると、一那をひょいと抱え上げて家の外へと連れ出した。一那が目を白黒させているうちに、近くにある川へと放り投げ、乱雑に頭を洗われる。ずぶ濡れの一那を連れて民家を物色した十六夜は、身体を拭くための清潔な布と、着られそうな着物を探し当てて着せると、一仕事終えたような顔をした。
「よーし。少しはましになっただろ」
「......」
全て終わった頃には一那はぐったりとしていた。抵抗も虚しく、全ていなされ抑えられてしまっては、手も足も出ない。大人と子供でそもそもの体格差が違うのだ。勝てるはずもなかった。
「ホントなら、転移装置って便利なもんで移動できるはずなんだけど......壊れちまっててなぁ」
だから地道に歩いて行くしかない、と溜め息をつきながら、十六夜は当たり前のように一那を連れて里を出た。
里から離れていくごとに、"気配"が増えていく。それは鳥のさえずりであったり、蝉が激しく鳴く声であったり。里にいたときには全く聞こえなかった音が次々と耳に流れ込んできて一那は混乱した。
小さな生き物の気配だけならまだいい。問題は、人里に下りたときだった。
「──は」
まるで頭から、胸、腹の中までをぐちゃぐちゃにかき回されるような激しい衝動に一那はうずくまる。凶暴な何かが身体の中で暴れ始めたようだ。
「っと、マズいな」
一那の異変に気付いた十六夜は、人のいない山の中へと一那を担いで置いていく。
「気が済むまで暴れりゃいいさ」
そのあとのことは、あまり覚えていない。
気がついたら一那は肩で息をして立ち尽くしていた。周りには脱色された木々が、枝を折られたり葉を散らしたりしている。その間からひょいと顔を出したのが十六夜だった。
「いい暴れっぷりだったみたいだな」
一那は両手に目を落とす。全てを破壊したい衝動は確かに治まっていたが、くすぶるように腹の底で眠っているのが分かった。
「つっても......このままじゃ、ちょっとな」
十六夜は考え込むように顎をさする。半ば虚脱状態になっていた一那は、ゆっくりと目を瞬かせながら顔を上げた。
「仕方ねえな。防衛本部に着くまでに、色々教えてやるよ」
それから、移動は夜になった。昼は半分ほどを睡眠に使い、さらに半分を一那が"力"の制御を身につける訓練に当てる。時折十六夜が人里に下りていって食料を手に入れてくる以外は、ほとんど人里には近づかなかった。
一那に力の扱い方や戦い方を教えながらの道行きは遅々としたもので、燈京に着くまでひと月も掛かった。寒さに凍える必要のない夏だったのはちょうどよかったと言えるだろう。
海風に髪をなびかせながら一那は波音に耳を澄ませ、暗い海を眺めた。
真っ暗な海の上に燈京の明かりが瞬いている。まだ遠い。まだ何の気配も感じない。それでも、そこで営まれている人々の暮らしを思うと、一那は気が重たくなった。
「ほら、行くぞ」
「......」
十六夜に促され、燈京へ続く橋を渡る。夜の闇に紛れて街を通り抜ける。夜だというのに、あまりにも人の気配が多い。あちらこちらに破壊対象を見つけて喜ぶように、一那の中の破壊衝動が疼いた。
無心になって十六夜に続く。道を見失わないように、自分を見失わないように、ただ十六夜の背を追った。
「ここでなら思い切り暴れていいぜ」
防衛本部に辿り着き、真っ直ぐに案内されたのは地下牢だった。
もう、限界だった。牢が閉まったあとのことは覚えていない。
ひとしきり暴れて落ち着いた頃、影を背負ってのそりと十六夜が現れた。その後ろに別の人間の気配がするが、闇に紛れて顔までは分からない。
「落ち着いたみたいだな。そんじゃあ──」
十六夜が一那を見下ろす。黄色い眼に明かりが反射して、チカチカと剣呑な光を放っていた。
「ひとつの街の住人を皆殺しにした罪は極刑に値する」
低く、深い声で言う。故郷からの道中のヘラりとした様子とは違う声の重さを、肌で感じた。同時に、この男は断罪するために一那をここまで連れてきたのだと気付く。
(──今更?)
十六夜の考えが分からなかった。一那を断罪しようと思えば道中いくらだってできただろう。それこそ、赤子の手をひねるよりも容易かったはずだ。なのに、防衛本部に連れてきてまで断罪を遅らせた理由は?
探るように見返せば、十六夜はクッと片笑んだ。
「選べ、塩水流一那。ここで死ぬか、それとも──デッドマターと戦うか」
「オレは......」
不意に、鼻の奥に腐臭が蘇った。転がっていた、たくさんの骸。あれが、十六夜の言う皆殺しにされた住人なのだろう。
(オレが、殺したのか......?)
一那が気付いたことに歓喜するかのように、破壊衝動が喉元まで迫り上がる。一那は顎に力を込め、歯を食いしばった。
この身に巣くう"何か"は、とうに取り返しのつかない罪を犯していたのだ。
一那は十六夜を見つめた。どんな感情も読み取れない眼差しで、十六夜は一那の答えを待っている。
一那は自分の心に問うた。
生きたいのか──分からない。
死にたくないのか──分からない。
ただ分かるのは、一那にはデッドマターと戦う力があるということ。
そして、その力は役に立つということだ。
(だったら──)
一那は覚悟と諦観を閉じ込めるように目蓋を下ろした。
「デッドマターと戦う」
一那が答えれば、十六夜は満足げに頷く。十六夜の後ろで息を詰めていた誰かが、ひとつ溜め息をついた。何も言わずに遠ざかっていくヒトの気配を一度振り返り、十六夜はひょいと肩をすくめてみせる。
「これで奴(やっこ)さんも一応納得したろ」
誰だと問えば、上司だと簡潔に返ってくる。今更、罪を問いただしたのは、一那の意思を上司に示すためだったようだ。
「一那、約束だ。ここからは俺が壊していいって言ったモノだけ壊せ。そうすりゃあとはどうとでもしてやるよ」
「......」
一那は無言で頷いた。自分はただ十六夜に従っていればいいのだと思うと、そう難しいことではない気がした。
後日、一那に与えられたのは、純の志献官の身分だった。
薄暗い地下牢は、夏でも冷たく過ごしやすい。夜と暗闇に慣れた一那にとっては、落ち着ける場所になるはずだった。
(うるさい......)
一那は両耳を塞いだ。人の声は聞こえないが、過敏になった神経は地上にいるヒトの気配を拾い上げ、一那を落ち着かなくさせた。検査のためだと十六夜に連れてこられた職員に威嚇的な態度を取ってしまったのも、気が立っていたからだ。
恐れられてしまったが、誰も傷つかないならその方がいい。
けれど、一那の中で蠢く"何か"は、そんな思いを嘲笑うように一那の自我を真っ黒に染め上げた。静寂に満ちた心の中を、凶悪な叫喚がかき乱すように軋みを上げる。少しでも気を抜けば、地下牢から抜け出して、破壊の限りを尽くしてしまいたくなる。実際、何度か破壊衝動を暴走させたこともあった。
地下牢の隅で小さく膝を抱えうずくまる──そんな日々を過ごしていた一那の元に、あるとき十六夜がやって来た。
「一那。これつけときな」
顔を上げた一那の鼻先に、ふとタバコのにおいが近づいた。十六夜が一那の顔にマスクをつけたのだ。
「これでおまえの吐くガスはほとんど抑えられる」
違和感を覚えて眉間にしわを寄せる。そんな顔すんなって、と十六夜はぐしゃぐしゃと一那の髪をかき回した。
「さて......準備も整ったところで」
十六夜はぐいっと身体を伸ばして立ち上がった。
「一那、そろそろ暴れたくないか?」
「......」
一那は頷いた。今にも暴れだそうとするように、何かを壊したくてたまらない気持ちが腹の中で蠢いている。肯定した一那に、そうだろうと十六夜は頷いた。
「面白い場所に連れて行ってやるよ」
十六夜はそう言って、闇を纏うように笑った。
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