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24.08.21
結合男子 -Fragments from Dusk-:断章-九- 塩水流一那の追儺(2)
著者:麻日珱
前回「断章-九- 塩水流一那の追儺(1)」はこちら
その日、一那はひとりで里の中心部へと向かっていた。デッドマターを退けてから数日後のことだ。
(何だろう......ざわざわする)
普段、一那はデッドマターを退ける以外では家の外に出ない。村人からいないかのように扱われる場所へ繰り出したところで心がつらいだけだから。
それでも里の中心へと赴いたのは、朝から胸がざわついて仕方なかったからだ。
誰かに呼ばれている気がする。
一那はキョロキョロと辺りを見回しながら里を歩いた。市などが立つ通りには、昼も人出が多い。一那の姿に気付いた大人たちは緊張して目を逸らしている。
やっぱり帰ろうかと思っていると、不意に歌が聞こえた。童謡だ。子供たちが声を合わせて歌っている。
「かーごめかごめ」
数人が手を取り合って輪になるその真ん中に、目を閉じてしゃがみ込んだ子供がひとり。一那はその後ろ姿を切なく眺めた。里の子供たちの一員にはなれなかったからだ。
「うしろのしょーめんだーぁれ」
パッと子供たちがしゃがみ込む。真ん中の子供がひとりの名前を叫びながら後ろを向いた。
ぼんやりと立ち尽くしていた一那とその子供の目が合う。子供はまん丸く目を見開いた。
「バケモノだ!」
遊びに熱中していた子供たちが一斉に立ち上がって一那を振り返る。そして、三々五々、ケラケラと笑い声を上げながら散っていった。
「......」
一那はぎゅっと拳を握りしめた。何と呼ばれているのか知っていても、ぶつけられれば心が痛んだ。
(もう、帰ろう......)
胸のざわめきなんて、無視すればよかった。家から出てきたことが間違いだったのだ。
一那が踵を返したそのときだった。
ビリビリと全身が総毛立つような感覚に一那は弾かれたように顔を上げた。
「デッドマターだ!」
村人が叫ぶ。何もない虚空に侵食領域が蠢くように広がっていく。
「一那様! お助けを!」
侵食領域を広げるデッドマターは、まだ人を害するほど強くない。今ならば、と一那は"力"をデッドマターに向けて放った。一那の"力"の方が強い。"力"と衝突したデッドマターは、星のような光を放ちながら散っていった。
「はあ......」
今朝から感じていた胸のざわめきは、このデッドマターの出現を予感していたからだったのだ。
ざわめきは消えたが、心臓は激しく脈打っていた。人里にデッドマターが現れるなどこれまではなかったからだ。
一那様、一那様、と村人たちがひれ伏していく。見慣れてはいるものの、やはりあまりにも異様な光景だった。デッドマターが現れる前までは、一那などいない者として扱っていたのに、掌返しが過ぎる。
(このヒトたちは、オレを何だと思ってるんだろう)
無視をしても、バケモノと、怪物と蔑んでも、一時の尊敬さえ見せれば里を守る馬鹿だとでも思っているのだろうか。
「......」
一那は固く口を引き結び、村人たちに背を向けた。皆が伏せた顔の下で苦い顔をしているのは容易に想像が付く。
「お前が呼んだんだろう!」
誰かが叫びながら一那の肩を掴んだ。爪が食い込むほどの強い力だ。振り向けば、白い髪を振り乱しながら叫ぶ老婆が、血走らせた目を剥いて一那を揺さぶる。一那は思わず悲鳴を上げた。
「ひっ......」
「おい、ばあさん! 何やってんだ!」
すぐさま老婆は近くにいた男たちに取り押さえられた。羽交い締めにされても奇声を上げて暴れる。よほど力が強いのか、後退する一那にぐいぐいと近づいてきた。
「何が神の子だ! お前があの暗闇を呼んでるんだ。お前が生きてるわけがない。生まれていいはずがない! あたしの娘を返せ! お前は神の子なんかじゃない! このバケモノめ!」
「何、言って......」
ひとり孤独に山中を彷徨(さまよ)うよりも、デッドマターに立ち向かうよりも、その形相は恐ろしかった。薄らとした嫌悪や、先ほどの子供たちのような無邪気な悪意にさらされたことは何度もあるが、憎しみのもこった悪意をぶつけられることは滅多になかったからだ。
「お母さん!」
聞き覚えのある声に、震えるしか出来なかった一那は、ハッと振り返った。
「かあ、さん......?」
息せき切って走ってきた母が、一那を抱き寄せてかばう。押し当てられた胸から激しく跳ねる鼓動が聞こえた。
「お母さん。やめて。この子は何も悪くない!」
母の姿を目に留めた瞬間、老婆はぐわっと歯の抜けた口を開いた。
「あああ! お前! この親不孝者! こんなバケモノを育てて! あたしたちに申し訳ないと思わないのかい!」
老婆の叫び声が遠ざかっていく。
「妹はバケモノを孕(はら)んで、姉はバケモノを育てて! ああ、ああ! 何て親不孝な娘たちだ!!」
母の腕に抱かれた一那は、おずおずと母を見上げた。妹? 姉? 一体何のことだろう。それに、あの人は......?
「母さん......今の人って......」
母は苦悶の表情を浮かべると、未だに老婆の叫び声が聞こえる方向を見つめた。
「......一那のお祖母ちゃん」
ぎゅっと喉の奥が締まった。村人たちのひそひそとした声が、細波(さざなみ)のように寄せては引いていく。
「あのばあさん、気が狂ったって噂の......」
「座敷牢に入れられてるって話だったけど、どうしてこんなところにいたのかしら?」
「さっきの騒ぎで出てきちまったんじゃねえのか? ちゃんと閉じ込めとけよな」
村人たちの言葉が、視線が、突き刺さるようだった。老婆の放った言葉は憎悪の塊で支離滅裂だったが、嘘だったとは思えない。
一那の理解が正しいのならば──。
「......母さんは、本当の母さんじゃないの?」
「それは......」
母が息を呑む。その強ばった顔で理解してしまった。
そのとき、込み上げてきた感情は何だっただろう。
「......っ!」
「一那!」
宥めるように肩をさすってくれていた母を一那は突き飛ばす。心がぐちゃぐちゃだった。脇目も振らず、がむしゃらに走る。山に入っていたことも気づかずに走って──木の根に足を取られて、盛大に転んだところで動きを止めた。
「う......うう......」
感情のやり場が分からずに、何度も何度も地面を殴りつける。呻くように突っ伏して泣いていれば、フンフンと荒い鼻息が首元をくすぐった。
「?」
べろりと頬を舐められる。ぎょっとして顔を上げれば、黒い毛むくじゃらが一那をのぞき込んでいた。
「く、熊?」
まだ大分小さい。子熊だろう。まるで遊んでくれとねだるように、濡れた鼻先をぐいぐいと押しつけてくる。驚いて涙も止まった一那がのろのろと身を起こせば、子熊は両手を挙げて一那に飛びかかってきた。
「わ......!」
大きな犬くらいある子熊を受け止める。完全に遊んでいるつもりらしく、痛みはどこにもなかった。ただずしりと重くて温かな生き物が一那の膝の上でゴロゴロと転がっていた。
「人懐っこいな......お前、どこから来たんだ?」
つぶらな黒い瞳に、一那の姿が映っている。その身体を撫でながら一那は辺りを見回した。親熊がいる様子はない。
春先は熊に気をつけてください、と村人に注意されたことがあるのを不意に思い出した。ちょうど、今くらいの季節は冬眠から目覚めた子連れの熊が山をうろついているのだという。
「......ごめんな。遊んでやりたいけど、行かないと」
親熊が来る前に逃げないと危険だ。デッドマターを退ける力はあっても、熊まで倒せるかは分からない。
立ち上がろうとする一那を、子熊が足にしがみついて止める。何もしていないのに懐かれたらしい。
「無理だって。オレも帰らないと......」
バキッと枝を折ったような音が響いて一那は口をつぐんだ。少し離れた場所に大きな親熊がいる。一那の動きを探るようにじっとこちらを見ていた。
このまま熊に背を向けて逃げたところで、遠くに逃げる前に親熊の鋭い爪は逃げる背中を切り裂くだろう。そんな確信があった。
(......オレ、死んじゃうのか?)
恐怖で身体が震えた。
ドクドクと心臓が耳元で鳴っているようだ。ハッハッ、と短く息を吐きながら、一那は胸元を押さえた。
不安が腹の中で渦を巻く。ぐるぐると、ぐるぐると。吐き気がするほど回り回って、凶暴な何かがせり上がり、頭の中で弾けた。
《──》
言葉をなしていない、声のような、何かが、頭の中で響いて......。
今にも命が危ないというのに一瞬呆けていた一那は、ピクリと指先を動かした。その動きを見計らったかのように、熊が走り出す。
「っうわあああ!?」
頭の中で響いていたそれが霧散する。慌てふためいた身体は容易く体勢を崩し、足にしがみつく子熊のせいで尻餅をつく。もうすぐそこに、親熊は来ていた。
「......っ!」
もうダメだ、と目を閉じた瞬間、パァン、と乾いた音がこだました。親熊が嫌がるように身をよじって一旦離れる。
「え......」
パァン、ともうひとつ。遊んでもらえると思ってしがみついていた子熊が弾かれたように倒れ込んだ。
「あ......」
「走れ!」
短い胴間声に一那は泡を食って走り出した。逃げた先には、猟銃を構える男がいた。髪を短く刈り込んだ、母よりも十ほど年嵩の背の低い男だった。
「し、死んだの?」
「運がよけりゃぁな」
こっちだ、という猟師に促されるまま山を駆け抜け、一那と猟師は山小屋へと駆け込んだ。
「ハッ、ハッ、ハァ、ハァ......」
「怪我はねえか?」
「う、うん。だい、じょうぶ......」
頑丈な小屋の中に入って一那は安堵のあまりずるずると座り込む。もう何度も山の中に足を踏み入れているが、熊に遭遇したのはこれが初めてだ。
「そりゃぁ、熊だってデッドマターなんぞにゃぁ近づきたかぁねえだろ」
猟師に言えば、そんな言葉が返ってくる。そうかと頷いて、一那はハッとした。
「ありがとう、ございます。助けてくれて......」
「いいってことよ。お前の母親に頼まれて来たんだ。無事で何よりだよ」
「母さんが......?」
一那は俯いた。母を突き飛ばして逃げてきたことを思い出したのだ。あんな場所に残してきたことを、今更後悔する。
「入れ違いになるといけねぇっつって、家で待ってる。帰るだろ?」
「......」
一那は口を結んで黙り込んだ。どんな顔をして帰ればいいのだろう。
「オレは、邪魔じゃないのかな」
「邪魔?」
「こんな、バケモノを育てて、母さんは幸せなのかな......」
「母ちゃんにそう言われたんかい?」
ふるふると首を振る。バケモノだなんて、母は絶対に言わない。
「でも、あの人が......オレの、お祖母ちゃんって言う人が......」
「あーあー。あの婆さんか」
「知ってる?」
「知ってるともよ。まあ......うん。そうだなぁ......」
猟師は歯切れ悪く頭を掻くと、はあ......と溜め息をつく。
「坊主は知らん方がいい。送ってやっから帰んな」
「知ってるなら教えて。オレが母さ、っ......母さんの、子じゃないなら、オレの本当の母さんって......」
声が震えて詰まる。一那は潤んだ目をパチパチと瞬かせて涙を堪えた。
祖母は、妹が孕んで姉が育てたと言っていた。ハラんでという意味は分からなかったが、あの話の流れからすれば、一那の本当の母親は──。
猟師は深い皺を刻んだ自身の眉間をぎゅうぎゅうと押すと、ゆっくりと首を振った。
「他の誰かに聞くよりはマシなんかね? いや、でもなぁ......」
うんうんと散々唸ったあとで、猟師は自分の首の後ろをパンと叩いた。覚悟を決めたようだった。
「最初に言っとくけど、坊主の母ちゃんは母ちゃんに変わりねぇかんな。それだけは忘れんな」
「......うん」
猟師はもう一度肺の中を空にするような深い溜め息をつくと、ぐっと背筋を伸ばし、そして、儘(まま)よとばかりに一気に告げた。
「お前の母ちゃんには仲のいい妹がいてな。坊主はその妹の子供なんさ」
「......」
一那はぎゅっと膝を抱えた。やっぱりそうだった。薄々分かっていたことではあったが、はっきり言われるとやはり堪える。
「オレの、本当の両親は......?」
「デッドマターに飲まれっちまった。坊主が腹にいるときにな」
「......え?」
一那はぽかんと猟師を見上げた。腹にいるとき?
猟師は困った顔でボサボサに伸ばした無精髭に指先を突っ込む。
「俺にもわっかんねぇよ。何でとかさ。そんとき、この里には志献官がひとりいたんだ。そいつァ、デッドマターと戦って死んじまってよ......そのあとさ。何でか、いきなりデッドマターが引いてったあとに、赤ん坊だけが残ってたんだ。そんで、お前の母ちゃん──本当の母ちゃんの姉ちゃんだから、伯母っちゅうやつか。妹の子だっつって、自分が育てるっつってよ。お前のこと引き取ったんさ。そうしたら、まあ、里のヤツらのビービーギャーギャーうるせーこと。村八分さ。分かるか? 村八分。村ぐるみのいじめよな。そんで、お前の祖母ちゃんは耐えきれず狂っちまったんよ。まあ、そのいじめもお前が里の役に立つって分かってからは収まったけどな」
「......あれで?」
使えるときだけ神様扱いをして、そうでないときはいない者のように扱う。あれが収まった方なら、元はどんな風に扱われていたのだろうか。想像もつかない。
猟師はあぐらに頬杖をつくと口をとがらせた。
「そ。あれで。ふざけてんよな」
一那のために憤ってくれているのだろう。その反応が新鮮で、一那は目を瞬いた。
「......おじさんは、みんなと違うね」
こんな風に接してくれる大人には会ったことがない。みんな一那を無視するか畏れ敬うふりをするかだったからだ。何だか不思議な感じがした。
猟師は黙り込むと目尻を下げた。泣いてしまうかと思ったが、猟師は皮肉な笑みを口元に浮かべるだけだ。
「俺ァさぁ。何もしてやれねえんが申し訳なくってよぉ......お前が森に入るときにゃぁ、よく付いてってるんだぜ? デッドマターにゃ、散弾銃なんて効かねえだろうがさ。お前を抱えて逃げることくらい出来るだろって」
「そうなの? どうして? 母さんに頼まれたから?」
「......俺ァ、お前の父ちゃんのダチさ。ちいと年は離れてたが、仲良かったんだぜ?」
猟師は目元を親指でこすった。年を取ると涙もろくていけねぇや、と小さく笑う。
「とにかくさ。坊主はなんも悪くねえよ。母ちゃんもな。お前がデッドマターから生き延びたんも、天の思し召しかなんかだろうさ」
「......」
一那は事情を飲み込みきるために俯いた。
母の妹──一那の本当の母親は、一那を身ごもっているときにデッドマターに呑まれたが、一那だけが助かった。確かに、自分のことでも気味が悪い話だ。里の人たちが怖がるのも分かる気がした。
「母ちゃんもお前の帰りを首長ぁくして待ってんだ。ほら、早く帰ろう」
「......うん」
差し伸べられた手を取って立ち上がる。そうして、ふとひとつの疑問が浮かんだ。自分の力と、この里にいた志献官に何かつながりがあるのだろうか。
(そういえば、この前家に来た人も、志献官とか言ってたっけ......)
これは、単なる偶然だろうか。もしかして、何か関係あるのではないだろうか。
「ねえ、おじさん」
「あん?」
「オレの父さんって、さっき言ってた志献官?」
猟師の友人でもある男だ。デッドマターとの戦いで死んでしまったのなら、納得がいく。
猟師は首を傾げてパチパチと目を瞬かせた。さも不思議なことを聞かれたという顔だった。
「いんや? そいつが里に来たときにはお前はもう母ちゃんの腹ん中にいたし......ああ、言ってなかったか。あんとき里にいた志献官っつうのは、お前の母ちゃん──伯母さんの恋人だった男だよ」
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