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24.09.15

結合男子 -Fragments from Dusk-:断章-十- 舎利弗玖苑の結論(3)

著者:麻日珱

前回「断章-十- 舎利弗玖苑の結論(2)」はこちら

 新和十五年──。

「それじゃあ、母さん。何かあったらすぐに連絡をしてね。飛んでくるから」

 母の通院に付き合って家へと送り届けた玖苑はそっと母にハグをした。

「玖苑も気をつけて。いつも想っているわ。Mon lapin(私のウサギちゃん)」

 頬にキスを贈り、愛してると目を見て告げる。玖苑よりもずっと細くて柔らかな髪を撫でて名残惜しく離れると、玖苑は傍らに立っている家政婦に声をかけた。

「よろしく頼むよ」

「お任せください!」

 母より年上の女性は力強く拳を握ると、健康的な丸い頬を持ち上げて明るく笑った。

 母は、玖苑にとってたったひとりの肉親だ。玖苑は父を早くに失い、同居していた祖母も亡くなった。少し前まで庭の薔薇が美しく咲き誇っていたこの家は、祖母が残してくれたものだ。

 フランスから結倭ノ国へやってきた母は、異国で自分も大変だったというのに、それを感じさせない大きな愛情で玖苑を育ててくれた。幸い、母子は周りの人にも恵まれた。天使みたいだ、お人形さんのようだ、美人だ、可愛いと、方々から好意と愛情を注がれて、玖苑はすくすくと育っていった。時折向けられる悪意も霞んでしまうほど、玖苑の心は愛情で満ちあふれていた。

 母が倒れたのは、玖苑が十六歳になる年のことだった。

 玖苑が防衛本部で受けた志献官の適性検査で、フッ素の因子を持っていると結果が出たのもそのころだ。

 通常、志献官の適性ありとされた者の中には、複数の因子が混在している。それが混の志献官だ。その中で、特定の元素の因子が強い者ほど純の志献官になる資格を有しているという。純の志献官になる際に因子の弱い元素は排除され、特定元素の純の志献官になるのだそうだ。

 しかし、玖苑の場合は違った。最初からフッ素の因子しか有していなかったのだ。これは非常に珍しいことで、間違いなく強力な元素力を持っている、と職員が太鼓判を押していた。

『ただ──』

 喜びも束の間、表情を曇らせた職員はおずおずと玖苑に問うた。

『ご家族に、ご病気の方はいませんか?』

 ドキリとすると同時に、脳裏に検査のため入院している母の姿が浮かんだ。

 職員が言うには、玖苑は混じりけのない純粋な因子を持つが故に、ただ存在しているだけで周囲のフッ素化合物からフッ素を引き剥がし、自らの周りにうっすらと滞留させているという。生まれ持った因子のため玖苑本人にフッ素の影響はないが、家族など長期にわたって近距離で接する相手にはフッ素が体内に蓄積され、影響が出る可能性がある、と。

 話が進むにつれて指先が震えた。

 じゃあ、もしかして母さんが倒れたのは......?

『賦活処置を受けて元素力を扱えるようになれば自然と収まるはずですので、早めにご決断を──』

 そのあとのことは、あまりよく覚えていない。おそらく、これから志献官になるに当たっての説明がされたはずだが、玖苑は気がつけば防衛本部ではなく、母が検査入院する病室の入り口に佇んでいた。

『玖苑』

 ベッドの母は、倒れたのが嘘のように満面の笑みで玖苑に両手を広げた。いつもなら迷わずハグをしに行く。けれど、その時は縫い付けられたように足が動かず、玖苑は俯いた。

Coucou, mon lapin.(ねえ、私のウサギちゃん)ママをぎゅーして?』

『......』

 玖苑は顔も上げられず、ふるふると首を振る。玖苑のせいで母は身体を害してしまったのだ。今だって、玖苑はフッ化物から引き剥がしたフッ素を身に纏っている。さらに悪影響が出たらと思うと、近づくことなんてできない。

『──ボクに、フッ素の因子があるんだって。そのせいで......っ、そのせいで、母さんは』

Trop bien!(すごい!) なんてこと!』

 心の底から嬉しそうな声に玖苑はハッとして顔を上げた。母は少女のように目をキラキラと輝かせている。

『私も小さい頃は故郷でデッドマターをやっつける人になりたかったの。神様がお願いを叶えてくれたのね!』

『でも、ボクのせいで』

Non! あなたはやっぱり特別な子だったってだけよ。私の誇り。私の自慢の息子。ほら、おいで。ママにぎゅーさせて!』

 ぽろりと涙が落ちた。動かなかった足が嘘のように床から離れて、玖苑は数歩の距離をもどかしく思いながら母を抱き締めた。

『──っ、 Je suis désolé(ごめんなさい)』

『泣かないで、美しい子。宝石箱が空っぽになっちゃうわ』

 ぽろぽろ落ちる大粒の涙を、玖苑の頬に手を添えた母は親指の腹で何度も拭う。玖苑はその手に頬を寄せて目を閉じた。

『玖苑が謝ることなんて何にもないの。特別な力があったって、もちろんなくたって、あなたは私の大好きな可愛いウサギちゃんよ。きっと、玖苑があんまり美しくて素敵だから、神様が特別な贈り物をくれたのね。玖苑は何も悪くないわ。玖苑が自分を責めて、ママをハグしてくれなくなる方がずっと悲しい』

『......』

 目蓋をそっと持ち上げれば、母は息を飲むほど美しく微笑んでいた。そして、その眼差しは驚くほどに強い。

『"À cœur vaillant rien d'impossible"

『......"勇敢な心に不可能はない"?』

 母は頬に添えていた両手に力を込めて頬を押しつぶすと、軽く額をぶつけた。

『結倭ノ国に避難してくるとき、そう自分を奮い立たせてパパについてきたの。私の子だもの。玖苑がそう信じさえすれば、デッドマターからこの世界を救えるわ』

『世界を、救う? ボクが......。そうしたら、母さんもフランスに帰れるかな?』

Oui! 玖苑にも見せてあげたいわ。とても美しい私たちの故郷を。きっと、一目で恋に落ちてしまうから』

 パチン、と茶目っ気たっぷりにウィンクする母に玖苑は小さく吹き出す。玖苑はぐいぐいと涙を拭って、母が大好きだと言ういつもの笑顔を浮かべた。

『待ってて。きっとボクが母さんに故郷を見せてあげるよ!』

 その日、玖苑は母を故郷に連れて帰ることを目的に、志献官になることを決意したのだ。

(今思えば......あのとき、母さんはとっくに気付いてたんだろうな)

 自分の身体が何に冒されていたのか。フッ素など、普通に生きているだけでは身体に影響が出るほど蓄積されるものではない。頭のいい人だ。もしかしたら、と思うところがあったのかもしれない。それでも、一度だって玖苑を疑う仕草を見せることはなかった。それどころか、あれほどまでに美しく笑って玖苑を抱きしめてくれたのだ。母は玖苑が知る中で最も美しくて強い人だった。

 あの日から、三年。未だにデッドマターを倒す目処は立っていない。それどころか、二年前に媒人を失ってからは完全に行き詰まっていると言っていい。

 玖苑が賦活処置を受けてフッ素を纏わなくなってからも、母の身体は少しずつ悪くなっている。体内に蓄積されたフッ素を取り除くことは、さすがの玖苑にも不可能だった。今はまだ病院に通いながら自宅で療養を続けているが、いずれ完全に入院を余儀なくされるだろう。

(時間がないのに......)

 焦燥が募るたび、玖苑は母の言葉を思い出す。

 À cœur vaillant rien d'impossible.

 焦りは心が負けそうになっている証だ。勇敢な心を持ち続けていれば、焦る心は自ずと遠のいていく。

 玖苑はゆっくりと深呼吸をした。

 ここで玖苑ひとりが焦ったところで、デッドマターから世界を取り戻せるものではない。物事には時期があるのだ。その時が来るまで、今はただ待つだけだった。

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