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24.09.26

結合男子 -Fragments from Dusk-:断章-十- 舎利弗玖苑の結論(6)

著者:麻日珱

前回「断章-十- 舎利弗玖苑の結論(5)」はこちら

 新和十七年、八月──新宿再生戦、敗北。

 防戦一方だった防衛本部は、新宿を奪還しようと打って出たが、脅威指標一等級 八岐型デッドマター『フォーマルハウト』の返り討ちに遭い敗北を喫した。

 作戦の直後、防衛本部は酷い有様だった。怪我をした大勢の志献官たちが運び込まれ、医務室に入りきらないという理由で講堂に寝かされている。

 最も重傷だったのが、殿(しんがり)を務めた碧壱だ。医務室で治療を受けているが、治癒力の高い純の志献官の身でさえも、命が危ういほどの深手だという。

 司令室に呼び出された玖苑は、作戦を立てた花槻(かつき)司令に冷ややかに一瞥した。普段柔和な表情を浮かべている司令は、玖苑の視線から逃れるようにすっと目をそらす。

 司令室には、他に十六夜、空木、陸稀がいた。この三人は第二陣として控えていたため無傷だ。

(──仁武は?)

 仁武も怪我をしていたが、作戦から数日経つ。歩けないような怪我ではなかったはずだ。

 玖苑が問うように十六夜に視線を向けると、彼はそっと目を伏せた。

(何だ?)

 陸稀も困惑気味にきょろきょろと見回している。花槻司令は、ふう、と息を吐いた。

「先ほど、源碧壱純壱位の消滅が確認されました」

「......は?」

「うそ......」

 崩れ落ちかけた陸稀の腕を空木が掴む。空木はあまり驚いていない。知らなかったのは、玖苑と陸稀だけだったようだ。

「どうして......」

 震える声で呟くと、陸稀は飛びつくように花槻に詰め寄った。

「どうして! 怪我は酷かったけど、ちゃんと戻ってきたじゃん!」

「鐵純壱位が源純壱位の様子を見に行ったところ姿がなく、確認したところ水素の志献官の消滅を──」

「っ、ふざけんなよ、お前! さっきから!」

「陸稀!」

 吠えるように花槻に掴みかかった陸稀を空木が取り押さえる。

「消滅って何だよ! 碧壱はデッドマターじゃない!」

「陸稀。落ち着きなさい。陸稀!」

「だって漆理!!」

 陸稀は息を切らし、空木を、そして玖苑と十六夜を見てくしゃりと顔を歪ませた。

「碧壱が、死んだんだよ......もういない。何にも、なくなっちゃったんだ......」

 ボロボロと大粒の涙をこぼす陸稀の顔を、空木は自分の肩へと押しつける。歯を食いしばるように嗚咽を漏らす陸稀の姿を横目に、玖苑は一歩前へ出た。

「仁武は?」

「今は放っておいてやれ」

 答えたのは司令ではなく十六夜だった。

「それで、前どうなった?」

 仁武は自分の殻に閉じこもり、笑うこともなくなって、自分を痛めつけるように訓練に明け暮れた。その頑なな心をほぐしたのが碧壱だ。碧壱が死んで、仁武がどうなるか、火を見るより明らかだった。

「次は仁武が死ぬよ」

「だからだ。慰めるにせよ、発破掛けるにせよ、今は落ち着くまで待て」

「......」

 玖苑はぐっと目を閉じて深々と溜め息をついた。

「分かったよ」

 玖苑はくしゃりと前髪をかき上げると身を翻した。

「舎利弗純壱位。まだ話は終わっていません。舎利弗純壱位!」

 咎めるように司令が呼ぶ。玖苑はそれを無視して、司令室をあとにした。



「......碧壱」

 医務室で、碧壱が横たわっていたというベッドは空っぽだった。志献官は死ねば元素に還る。何ひとつ残らず消えてしまうのだ。陸稀はデッドマターじゃないと言ったが、志献官は人間ではなくなるのだから、似たようなものだ。

「キミがこんなところで死ぬなんてね」

 ぽつりと呟く。碧壱とはここ数ヶ月、なんだかんだとやりとりをしてきた。仁武ともようやく和解できたと思っていた頃だった。これからもっと、理解を深められたはずなのに。

「......ん?」

 にわかに医務室の外が騒がしくなった。怪我人が担ぎ込まれてきたらしい。新宿再生戦の怪我人かとも思ったが、どうやら違うようだ。白衣姿を見る限り、彼も医務官のひとりだろう。

「──どうしたんだい? すごい鼻血だね」

 付き添いで来たらしい職員はハッと目を見開いて敬礼すると、顔の下半分と白衣を血で濡らした怪我人を、溜め息と共に椅子に座らせた。すぐさま、医務室にいた別の医務官が飛んでくる。付き添いの職員は怪我人を彼に任せて玖苑に事情を説明した。

「それが......清硫純壱位が連れてきた少年に鼻を折られて」

「一那?」

「いえ、そちらではなくて、新宿で保護した民間人です」

 そういえば、少年をひとり保護したと聞いたような気もする。しかし、何がどうすれば保護された民間人が他人の鼻を折るのだろう。パチパチと瞬きをして玖苑は首を傾げた。

「そこの彼が何かしたとか?」

「まさか! ちょっと状態が良くないので診察しようとしたら暴れて......」

「鼻を折られた? 状態がよくないって本当に? 元気な病人だな」

 大変だったね、とねぎらう言葉に、付き添いの青年は疲れたように再び溜め息をついた。

「そうだ、舎利弗純壱位。塩水流さんといえば──」

 次に声を掛けてきたのは、怪我人を診ていた医務官だった。

「報告しようか迷ったんですが、源純壱位が消えてしまう前に医務室に塩水流さんがいらしたそうなんです」

「一那が?」

「自分が見たわけではないんですが」

 不安そうに眉を下げる医務官に玖苑はひとつ頷いてみせた。

(でも一那がどうして?)

 碧壱が一那と交流を持っていたというのは知っている。だから見舞いに来たのだろうか。

 玖苑は改めて碧壱がいたはずのベッドに視線を戻した。そこに誰かが横たわっていたという跡さえもうない。白いシーツを見下ろしていると、不意にある考えが火花のように脳裏に浮かんで息を呑んだ。

「──まさか」

 玖苑は医務室を出ると、風のように真っ直ぐに一那のいる地下牢へ向かう。牢屋の隅で、一那が虚ろな目をして俯いていた。

「一那」

 びくりと肩が震えたが、玖苑を見ない。

「碧壱が死んだよ。知っているかい?」

 ひゅっと小さく一那は息を呑んだ。頭を抱えて震え出す。

 うるさい、黙れと、かすれるような声で唸りながら、小さくうずくまった。

 碧壱の死にただ立ち会っただけなら、こんな反応をするだろうか。

 先ほどから胸をざわつかせる考えが、確信を帯びる。

「キミが手伝ったんだね?」

「っ!」

 一那が勢いよく顔を上げた。愕然と見開かれた目が、雄弁に語っていた。

 玖苑は鉄格子を握り締めた。十六夜がきな臭い任務に連れ回しているようだが、一那はまだ十四歳だ。その子供に、碧壱は自分を殺させたのか。

 仲間である志献官を。

 碧壱はいつだって、完璧であろうとしてなりきれていなかった。一方的に玖苑を恨み、妬み、そんな感情は知らないとばかりに身体の中に押し込めて、まっとうな人間のふりをする。

 碧壱の中にはいつも不満が渦巻いていた。けれど、それを見せないように上辺だけでも取り繕うとする理性は賞賛に値する。たとえ腹の内に何を飼っていようとも、志献官として懸命に自分の理想を追い求める姿は美しくもあった。

 だが、現実は理想通りにはいかない。どれだけ粉骨砕身してデッドマターと戦おうと、世界は何ひとつよくならない。守るべき民衆はデッドマターへの不安を志献官にぶつける。志献官がどれほど命をかけても、それが当然とばかりの顔をして犠牲を強いる。それは、碧壱の理想とはかけ離れた姿だったのだろう。

 それでも、碧壱は歯を食いしばって邁進していた。

 そんな人間が最期にしてみせたのがこれだ。今際の際に自ら命を断つ意気地もなく、生きあがく覚悟もなく、結局他者に縋ってその手を汚させた。

 死の一報を聞いて陸稀は泣いた。玖苑だって衝撃だったし、悲しかった。一那に残されたのは、悲しみ以上の罪悪感だ。

 碧壱がどんな思いで死を選んだかなど、玖苑には分からない。分かるつもりもない。それでもせめて仁武には──親友には、別れの言葉のひとつでも告げるべきだった。

(ああ、腹立たしいな)

 こんなものは、自分の誇りを守ることだけしか考えていない、身勝手な死だ。

 玖苑は牢の扉に手を掛けた。その瞬間、一那は飛び上がらんばかりに驚いて壁際に張り付く。強烈な警戒心と拒絶。混乱、恐怖──悲嘆。

 近づくのは悪手かと、玖苑は中に入ることを諦めて身を引いた。

「キミのせいじゃないよ」

「......」

 この言葉はきっと、届かないだろうけれど。



 仁武は今日も慰霊碑へ向かったらしい。いつもそこにいるよ、と教えてくれたのは陸稀だ。同じだけ、陸稀もそこに行ったのだろう。

「もうそろそろいいだろう?」

 玖苑は誰にともなく問いかけた。

 碧壱の死を受け止めるだけの時間は置いた。悲しみと向き合うだけの時間も。けれど、悲しみが癒えるときを待っていたら、いつまで経っても立ち上がれない。

 玖苑は慰霊碑のある公園へ向かった。仁武が慰霊碑の前に佇んでいる。

 うなだれるその姿に、燈京湾防衛戦後の仁武の姿が重なった。

『ひとりにしてくれ。......お前とは、話したくない』

 玖苑は小さく身震いをした。

 また拒絶されるかもしれない。玖苑には碧壱のようにはできないかもしれない。そもそも、碧壱の何が仁武を変えたのかも、玖苑には最後まで理解できなかった。

 それでももう、"寂しい(つまらない)"なんて突き放したりはしないから。

「"À cœur vaillant rien d'impossible"

 小さく呟いて真っ直ぐ前を見据える。

 恐れず進め。

「このボクに不可能なんてないさ」

 さあ、"親友"を始めよう。


(終わり)

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