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24.10.02

結合男子 -Fragments from Dusk-:断章-十一- 清硫十六夜の濁流(2)

著者:麻日珱

前回「断章-十一- 清硫十六夜の濁流(1)」はこちら

 年が変わり、新和五年。新緑の季節に十六夜は一軒の民家の前に立っていた。

 首都燈京を離れれば、そこは未だ侵食が及んでいないだけの国土が広がっている。それでもそこには街が作られ、人々が毎日を懸命に生きていた。

 十六夜はまじまじとその家を眺める。ぼろ屋は言い過ぎだが、かなりガタが来ている家には素人が修繕した痕跡があちこちに残っていた。

 十六夜はするりと頬を撫でた。手触りの違う肌が指先に触れる。怪我を負ってから数ヶ月、硫黄で傷ついた傷跡は体中に生々しく残っているが、身体は障害も残らず全快した。こういうとき、志献官とはつくづくバケモノなのだと思う。

 いっそ死んでいればよかったと、自分の役目をどんなに恨んでみても、今更同期のように狂うこともできない。ならば、ただ一心に結倭ノ国のためと信じて突き進むしかない。

 暗い目で自嘲して、十六夜は玄関の引き戸を揺らすように叩いた。ややして引き戸をガタガタと開けながら顔を出したのは、三十代後半にさしかかった男だ。眼鏡の奥の目が十六夜を見た瞬間にぎょっと見開かれる。男が閉じようとした戸を掴み、十六夜は半身をねじ込むように三和土(たたき)へと足を踏み入れた。

「どうも。俺の顔を知ってるんなら話は早ぇや」

 十六夜は、勢いに負けて尻餅をついた男を冷ややかに見下ろした。

「清硫、純弐位」

 十六夜は小さく口角を上げた。ぶるりと震え上がった男の顔から血の気が引いていく。小心者なのだろう。純位とはいえ二十歳にもなっていない若造を目の前にして、今にも倒れてしまいそうな顔色をしていた。

「何で俺が来たか分かるな?」

「......私を、連れ戻しに来たんですか」

 男は後ずさりしながらよろよろと立ち上がる。上がり框(かまち)に立ってやっと十六夜と視線が同じになった。小柄な男だ。

「デッドマター襲撃のどさくさに紛れて姿をくらますなんてよくやるねぇ。見つかっちまってご愁傷様」

 男は混四位の志献官だ。十六夜も生死の境を彷徨ったデッドマターの侵食時、担当していた鉄塔での元素結界の任務を放棄して逃げ出した罪が問われている。

 この混の志献官を連れて帰るのが、十六夜の今回の任務だった。同期を連れ戻したときの末路を思えば気が重たかったが、純の志献官と違い、混の志献官は辞めることもできる。連れ帰ったところで、罰を受ければ命までは取られない。辞めるならそのあとでも十分可能だ。

「観念して防衛本部に戻れよ。無理やり連れて帰られたくねえだろ」

 どうしても志献官を辞めたいというのなら、逃亡したことへの罰を受けてから辞めればいい。難しいことではないはずだ。

「私は──」

「どーしたの?」

 幼子特有の丸みを帯びた高い声が奥から聞こえる。男は慌てたように振り返った。

「ダメです。戻っていなさい」

 みずみずしい新芽のような髪色の幼子がぽつんと立っている。四歳ほどの子供だ。慌てる男とは似ても似つかない端正な顔立ちの子供だった。

「あれは?」

 知らず声が尖った。男はびくりと肩を震わせて十六夜を振り返る。

「あの子は......」

「あんたの子には見えねえけど」

 トタトタと小さな足音を立ててやって来た幼子が男の着物をぎゅっと握る。好奇心でいっぱいの物怖じしない無垢な瞳が、真っ直ぐに十六夜を見上げた。

「だれ?」

「──こんにちは。お兄さんは十六夜ってんだ。おちびさんこそ誰だい?」

 しゃがんで視線を合わせれば、幼子はパチパチと大きな目を瞬かせた。

「おちびさんじゃない」

「あはは。そっか」

「......それ、なに?」

 何のことかと首を傾げれば、小さな手が十六夜の顔の傷へと伸びてくる。顔に何かついているとでも思ったのだろう。その手を男が慌てて掴み、幼子を背後に隠した。

「すみません。失礼を」

 十六夜は立ち上がりながら首を振った。

「別にいい。子供の前だし、荒っぽいことはしたくない。事情があるなら話してみろよ」

「それは......」

 男は観念したようにうなだれると、ぽつりぽつりと口を開いた。

 曰く、男が敵前逃亡した作戦の際、逃げ惑う人々の中で親とはぐれて呆然と佇んでいるところを保護した子供だという。

「あれから何ヶ月も経つだろ。なんでまだあんたと一緒にいるんだよ」

 保護した子供はしかるべき場所に預けるのが普通だ。特に逃亡中ともなれば、連れて行っても足手まといになるだけだろう。

 男は口元を震わせると幼子を見下ろした。

「それは......」

 男は追い詰められているように呼吸を乱し、胸元をぎゅっと握った。

「防衛本部の、目を、逃れるために......この子の、父親になりすまして」

「ハッ。つまり、どさくさ紛れに誘拐したってことか? 親が探してるのかもしれないってのに」

 確かに、子連れの避難民は支援を受けやすい。また、男ひとりであるよりも圧倒的に他者からの同情心を買えるだろう。志献官であることは、制服を脱いでしまえば誤魔化すことは可能だ。その上、偽名を名乗れば、足がつきにくくなる。

 そこまで考えて、十六夜はハッと目を見開いた。

「──おい。まさか、あんたが使ってる偽名ってのは」

 男は糸が切れたように崩れ落ちると、両手で顔を覆った。

「申し訳ない......っ、分かっているんです。これが、どれだけ罪深いことか」

 男は堰が切れたように語り始めた。幼子の着物に縫い付けられていた名札から名字をもらい、名乗り続けていることを。妻を亡くした夫を装い、幼い子供を盾に人々の親切心につけ込んで、今の暮らしがあることを。

「あんた、よくそんなことが」

「ダメ!」

 男を守るように幼子が両手を広げる。その真っ直ぐな眼差しに十六夜は怯んだ。無意識に目を逸らしかけ、ぐっと堪える。

「......虐めてないよ」

 この子にとって、この男こそが親なのだ。

 デッドマターに親も故郷も飲まれて、この子にはこの男しか寄る辺がない。十六夜は無性に泣きたい気持ちを笑顔で誤魔化して、今にも噛みついてきそうな幼子の頭をくしゃくしゃと撫でた。細くて柔らかな髪だった。

「──猶予をやる」

 メガネを涙で汚した男が顔を上げる。

 十六夜は幼子に見えないよう目隠しをして男を睨んだ。

「どうするかよく考えろ。逃げるなよ。"宇緑"さん」

 偽名で呼んでやれば、男はがくりとうなだれて頷いた。幼子の顔を覆った手の下で、蝶が羽ばたくようにまつげが掌をくすぐる。手を離してやれば、まん丸に見開かれた目がじっと十六夜を見つめた。

「じゃあね。おちびさん」

「......おちびさんじゃない」

 不満そうにへの字を描いた口元に、十六夜は苦笑をこぼす。結局、最後まで幼子は笑顔のひとつもなく観察するように十六夜を見ていた。その視線が戸を閉めるまで突き刺さるのを感じながら十六夜は家を出る。

「はあ......何やってんだよ」

 十六夜は強く頭(かぶり)を振った。混の志献官をひとり連れて帰るだけの簡単な任務だ。それがまさかこんな形で出直す羽目になるとは思わなかった。

(でも、仕方ねえだろ)

 あの子供があまりにも憐れで、つい自分の境遇と重ねてしまった。両親を失ったことすら理解していないような子供から、親代わりを引き離すことはあまりにも酷だ。

 十六夜は防衛本部へ戻ると、すぐに該当する防衛作戦での子供の捜索願が出ていないかを調べた。

 宇緑という名字の子供の捜索願は提出されていない。親とはぐれたところを保護したと男は言っていた。デッドマターの侵食に飲まれて死んでいる可能性は高い。

 十六夜には、男を連れて帰るのが正しいのかどうか分からなかった。職務放棄の上の逃亡だ。男の行動が直接の原因だと断定できないが、それによって想定よりも早く元素結界が崩壊した可能性は否定出来ない。軽い処罰では済まないだろう。長期の服役もあり得る。そうなれば、あの子供はどこかの施設に預けられることになるはずだ。

「......」

 ぐっと目をつむった十六夜の脳裏に、幼子の透き通るような真っ直ぐな若草色の眼差しが浮かんだ。

(──どうせ、混の志献官だ)

 生きていたところで、十六夜の同期だった純の志献官のように防衛本部の邪魔にはならない。十六夜が追いかけていたのだって、続く者が現れては困るから、見せしめのために捕まえようとしていただけだ。

(なら、もういいだろ)

 任務としては失敗扱いになるが、どうでもいい。あの男がこれからどうするかは、十六夜には関係のない話だと、忘れることにした。

 ──その男が出頭し、防衛本部の支援で孤児院を開くのだと耳にしたのは、半年以上あとのことになる。

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